ドウモトキリ(34歳・石垣修復の石工12年)
石垣を崩して積み直すだけが、私たちの仕事ではない。崩さずに、ただ見続ける仕事がある。城の石垣は、四百年も雨と地震に耐えながら、生き物のように少しずつ前へ膨らんでくる。孕(はら)み、と呼ぶ。その膨らみを毎年測り、いつ手を入れるかを決めるのが、石垣の健康診断だ。私はいま、その診断の側にいる。
測量の基準は、定点の鋲だ。石の小口に小さな金属の鋲を打ち、毎年、同じ点を測る。去年と同じ点でなければ、膨らみの進行はわからない。私は鋲の頭に器械の十字を合わせ、息を止めて読む。数字が出る。ノートに書く。たいていの年は、去年と同じ数字だ。何も起きていない、という記録を、私たちは毎年、律儀に取り続けている。
ある壁の、ある鋲が、一ミリだけ前へ出た年があった。一ミリ。爪の半分にも満たない。けれど、その壁は十年、ぴたりと動かなかった壁だった。十年動かなかったものが一ミリ動いたという事実は、五ミリ動き続けている壁よりも、私を立ち止まらせた。石垣は、何かを言おうとしているのかもしれない、と思った。
孕みの原因を、表からは見られない。だから推理する。石垣の病気の診断学だ。第一に疑うのは、裏込めの栗石(くりいし)の目詰まりだ。背後に詰めた拳大の石の隙間が、四百年の泥で埋まり、水が抜けなくなる。第二に、排水の不良。第三に、樹木の根。壁の上に育った木が、根を石の奥へ差し込み、内側から押す。表に出た一ミリの裏で、見えない原因が、地味に、執拗に進んでいる。
緊急度の判定は、危険度と予算の天秤だ。すべての孕みをいますぐ直すことはできない。すぐ手を入れる壁と、もう一年見守る壁を、数字で仕分ける。膨らみの速さ、人の通る量、崩れたときに下に何があるか。私たちは石垣に優先順位をつける。直してもらえなかった壁の前を通るとき、私はいつも少し、後ろめたい気持ちになるのだった。
台風や地震のあとには、臨時の点検がある。落石の一報が入った朝、私は器械を担いで駆けつける。崩れた石の前で、まず定点の鋲を探す。基準が生きていれば、どれだけ動いたかがわかる。災害は、十年分の進行を一晩で進めることがある。何も起きていないという記録の束が、その一晩のために積まれていたのだと、そういうときに思い知る。
いちばん難しいのは、樹木との共存だ。石垣に根を張った大木は、石を押す元凶でありながら、その木そのものが、何十年もそこに在った景色の一部になっている。切れば石垣は守れる。残せば石垣は危うい。けれど木にも、四百年とは言わないまでも、長い時間が宿っている。切るか残すか——それは石工だけでは決められない、文化財の議論になる。石垣は生きているし、木も生きている。生きているもの同士が、同じ場所で、せめぎ合っている。
そしてもう一つ、忘れてはならないのは、人が歩く石垣の責任だ。観光客は、私が膨らみを測った壁の上を、何も知らずに歩いていく。その人たちの足の下に、一ミリの数字がある。安全の基準は、誰かが決めなければならない。私はその数字を、報告書の一行に書く。たった一行だが、その一行が、人の上を歩く許可になる。
一ミリ増えた年の報告書を、私はいまでも覚えている。前年と一字違いの、ただの数字の更新だ。けれど、その一行を書く手は、少し重かった。石の声を聴くというと大げさかもしれない。けれど、あの一ミリが、私をいまの私にしてくれた。崩す石工から、崩さずに見守る石工へ。一ミリの重みを背負うことが、いまの私の仕事なのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。