ドウモトキリ(34歳・石垣修復の石工12年)
石垣を積み直す仕事を十二年している。城の石垣は、四百年も雨と地震に耐えているように見えて、少しずつ膨らんでくる。孕(はら)み、と呼ぶ。表面の石が前へせり出し、はち切れる寸前で止まっている壁。あれを一度ぜんぶ崩し、もとの位置へ積み直すのが、解体修理だ。
二〇一四年の春、二十二歳のとき、文化財の石垣を請ける石工集団に入った。それまで土木の現場でブロックを積んでいた手には、城の石はあまりに重く、あまりに不揃いだった。一つとして同じ形がない。機械で切った面が一つもない。最初の朝、親方は孕んだ壁の前に私を立たせて、しばらく黙っていた。
「図面どおりに戻すんですか」。私はそう訊いた。設計図があるものだと思っていた。親方は壁を見たまま言った。「石垣は石の顔で積む。図面は後付けだ。崩す前に、なぜこの石がここにあるかを考えろ」。意味はわからなかったが、その声には、四百年前の石工と話しているような静けさがあったと思う。
解体は、崩すというより、ほどく作業だった。石を外す前に、一つずつ番号の札を当て、写真を撮る。控(ひか)え——石が壁の奥へどれだけ伸びているか、その長さを測って記録する。表に見えている面はわずかで、石の本体は土の中へ長く食い込んでいる。控えの長い石ほど、抜けない。石垣の強さは、見えている顔ではなく、見えない奥行きと、石どうしの噛み合わせで決まっていた。
札の番号は、戻すための番号だった。一七番の石は、一七番の場所にしか合わない。隣の石の欠けと、この石の出っ張りが、四百年前に一度だけ合わせられている。だから崩すときに記録を取らなければ、それはもう二度と組み直せない、ただの石の山になる。私は番号を書きながら、石が一つずつ、私に何かを語りかけてくるのを聞いていた気がした。
石を抜くと、裏から小さな石が無数にこぼれ出てきた。栗石(くりいし)。裏込めといって、大きな石の背後に詰める拳大の石だ。素人目には埋め草に見える。だが親方は「これが石垣の寿命だ」と言った。雨が降れば水は栗石の隙間を伝って下へ抜ける。水が抜けなければ、土が膨らみ、石を押し、孕みになる。四百年保った壁の裏には、見えない排水の設計が、地味に、執拗に、組まれていた。
抜いた石の一つに、刻印があった。隅のほうに、丸に十字のような印が彫ってある。家紋だと、親方が教えてくれた。普請を割り当てられた大名が、自分の組の石だと示すために刻んだものだという。四百年前、私と同じように重い石を抱え、控えを測り、栗石を詰めた誰かが、ここに署名を残していた。会ったことのない先輩の仕事に、私はそのとき初めて、手で触れたのだと思う。
積み直しは、クレーンと人力の併用だった。大きな石はクレーンで吊り、最後の数センチは梃子(てこ)と人の手で寄せる。番号の順に、奥から積んでいく。最後の一石——天端(てんば)の、いちばん上の石を据えたとき、壁は崩す前とまったく同じ顔に戻った。違うのは、その内側に、新しい栗石と、私たちの記録が入っていることだけだ。石の声を聴く、というと大げさかもしれない。けれど、あの番号付けの日々が、私をいまの私にしてくれた。以来十二年、私は石の顔を読む観察者になった。崩すたびに、四百年前の判断を、もう一度なぞっている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。