ドウモトキリ(34歳・石垣修復の石工12年)
石垣を解体すると、四百年の沈黙のなかから、声が立ちのぼってくる。石の表に彫られた小さな印——刻印だ。それは時を超えた手紙であり、過去の石工と私との対話の入口でもある。崩す前に、私はその一つひとつを帳面に写し取る。記録に残さなければ、その声は二度と聞こえなくなってしまうのかもしれない。
刻印には種類がある。丸に十字、扇、桝形(ますがた)。これらは普請を手伝った大名家ごとの符丁だ。ほかに、石を切り出した石切場の印、石工の組ごとの印もある。一つの壁に、いくつもの家の印が混ざっている。徳川の天下普請では、全国の大名が石を持ち寄った。壁の前に立つと、四百年前の日本中の声が、静かに私に語りかけてくるようだった。
刻印を見つけたら、まず写真を撮る。スケールを石の脇に当て、印の大きさが分かるようにして、正面と斜めから撮る。次に拓本を取る。湿らせた和紙を印の上に当て、乾きかけたところを墨で軽く叩く。彫りの底は白く、まわりが黒く浮かぶ。最後に、その石が壁のどこにあったかを図面に落とす。段と列の座標、向き、隣り合う石。写真と拓本と図面、この三つで一つの記録になる。文化財の記録の作法だ。
拓本を取る朝の、和紙と墨の匂いが好きだ。墨を磨り、刷毛で和紙を湿らせると、紙が石の凹凸に吸いついていく。タンポで叩くたびに、四百年前に鏨(たがね)を入れた手の角度が、墨の濃淡として立ち上がってくる。彫りの深いところ、浅いところ。迷った跡。その人の力の入れ方が、和紙の上に蘇る。私はそのとき、過去の石工と肩を並べて同じ石を見ているような気がするのだった。
刻印の意味を調べるのは、学芸員との共同作業だ。写し取った印を、符丁の図鑑と突き合わせる。丸に十字は島津家の家紋に近いが、刻印としては別の意味を持つこともある。判断に迷うと、私は学芸員に電話をかける。「四段目の七番、扇の印が出ました」。受話器の向こうで、文献をめくる音がする。どの大名の手伝い普請か、いつの工事か。一つの印から、四百年前の歴史が少しずつほどけていく。
けれど、刻印のある石はむしろ少ない。壁の大半は、何の印もない石だ。名のある石と、名のない石。記録に残るのは印のある石ばかりだが、印のない石を積んだ石工も、確かにそこにいた。私は刻印のある石も、ない石も、同じ手つきで番号を振り、同じ丁寧さで積み直す。記録に残らない者たちの仕事に、私は静かに敬意を払いたいと思う。彼らの汗もまた、この壁を四百年立たせてきたのだから。
近ごろ、現場で議論になることがある。修復で新しく入れ替えた石に、私たちの時代の印を残すかどうか、だ。残せば、百年後に解体する石工が、ここは平成・令和の修理だと一目で分かる。残さなければ、いつの石か分からなくなる。先輩は「余計なことをするな」と言い、若手は「残すべきだ」と言う。私は、百年後の石工への申し送りを、いまここで設計しているのだと思う。
申し送りの図面も作る。どの石を新しく入れ、どの栗石(くりいし)を補ったか。後の世の誰かが、この壁をほどくときに困らないように。四百年前の石工が私に印を残してくれたように、私もまた、見ぬ誰かへ印を残す。記録に残す者と、残らない者。その両方を抱えて、私は今日も帳面を開く。過去と未来をつなぐこと、それが私の仕事なのだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。