タカハシセイイチ(家計アドバイザー)/『お金のことば、家に入る — 家計アドバイザーの、十の夜』#8
生成日: 2026-05-01
十二月の土曜、地元のホテルのバンケットルームで、高校卒業から二十五年の同窓会があった。受付で名札を貼られる。「セイイチ」とフルネームではなく、苗字の下に高校時代の出席番号が手書きで添えてある。三十人ほど。乾杯の発声は当時の生徒会長で、現在は地銀の支店長らしい。私は会場の真ん中あたりに通された。ジョッキが配られ、最初の一杯のあと、何人かが私のテーブルに寄ってきた。
「お前、儲かってるんだろ」——最初に肩を叩いてきたのは、当時バスケ部だったヤマモトだった。手のひらの当たり方が、私の上腕三頭筋の少し上、肩との境目で、距離感が二十五年前のままだ。「お前、FPやってんだろ。儲かってるんだろ」。ジョッキを胸の前で構えたまま、目は私の名札ではなく、私の腕時計のあたりに向いていた。私は「いやいや、そんなには」と返した。返してから、自分の声のトーンが少し低めに調整されていることに気づいた。
三人目までに揃う三つの質問——次に来た元クラス委員のオオタは「俺の保険、ちょっと見てくれない?」、その次に来た野球部のフジサワは「何かいい銘柄ないの、お前そういうの知ってんだろ」。三人で、家計アドバイザーという職業の社会的輪郭がほぼ揃ってしまう。①儲かる人、②保険を見られる人、③銘柄を知っている人。私は実務でこのいずれかをほとんど扱っていない。扱っていないと言いかけて、やめた。やめた理由は後述する。
説明しかけて、止めた——「実は、面談中の半分は、客の言葉を整理して、客の話を途中で止めて、十年前の自分の助言を訂正されないように、慎重に語彙を選んでいる時間で——」と言いかけた。三秒で、ヤマモトの目の焦点が私の名札の方へ戻るのが見えた。これは説明する文の長さの問題ではなく、相手が知りたい情報の輪郭の問題だ。私は「ぼちぼちだよ」に切り替えた。切り替える速度が、自分でも早かった。
フレームを拒否する体力——「儲かる/儲からない」のフレームを拒否するためには、別の語彙のセットを、相手の興味の長さの内側で立ち上げる必要がある。それは面談ではできる。料金を払って、椅子に座り、私の側に質問を許可した客に対しては、語彙の組み立てができる。同窓会のバンケットルームには、その手続きがない。手続きの省略の中で、私は自分の職業を、相手のフレームで返している。フレームを拒否するには、二十五年ぶりの肩叩き三回ぶんを、押し返すだけのエネルギーが要る。私には今夜、それがなかった。
呼ばれ方の変化——途中、呼び方が変わったことに気づいた。最初は「セイイチ」だったのが、三十分を過ぎたあたりから「タカハシ先生」「タカハシさん」になった。冗談混じりの「先生」だが、それでも変化している。職業がわかった瞬間、相手は私を相談可能な対象として配置し直す。配置し直された側に、二十五年前の出席番号は薄まる。私はジョッキを置いて、ウーロン茶に切り替えた。
職業を語る言葉がない、と気づく——終盤、当時一番話した相手だったハットリが向かいに座って「で、結局お前の仕事って何なの」と聞いてきた。彼の聞き方は他の二十数人とは違って、フレームを準備していない聞き方だった。私は答えようとして、口の中で言葉が三回ほど形を変えた。「客と話す仕事」「家計の語彙を整理する仕事」「客の話を途中で止める仕事」——どれも、職業として通用する短い名詞ではない。結局「家計のこと、まあ、いろいろ」と返した。ハットリは「ふうん」と言って、ジョッキを傾けた。彼の聞き方には応えていない返しだったが、それ以外の返しを私は持っていなかった。
誰が観察しているか——帰りの私鉄、二十二時台の電車で、座席の足元のヒーターが暖かかった。考えていたのは、自分の職業者としての姿を、誰が一番観察しているか、ということだった。妻は「事務所行って客と話してる」、両親は「金融の仕事」、子は「保険とか教えてる人」、旧友は今夜のとおり。客だけが、私が面談中に口を止める瞬間や、語彙を選び直す数秒や、十年前の助言を訂正しないために選ぶ言い換えを、観察している。理解ではない。客は私を理解する立場にはない。ただ、観察の総時間で言えば、家族より客の方が長い。
家計アドバイザーの孤立、の輪郭——理解と観察を分けると、職業者としての私は、家族と客のどちらにも属していない位置にある。家族は私を理解しているが観察していない。客は私を観察しているが理解する関係にない。両者は補完していない。重ならない。重ならない位置で、職業は続いている。これは家計アドバイザーに固有のものなのか、それとも、職業一般がそうなのかは、今夜は判断がつかなかった。
自己反省——電車を降りて、ホームの自販機の前で、ハットリの「で、結局お前の仕事って何なの」を思い出した。フレームを準備していない聞き方に、私は二十五年ぶりに会ったのに、応えなかった。応えなかったのは語彙がなかったからだが、語彙がない、ということを語る語彙も、私は今夜は持って帰らなかった。次に彼に会うのが二十五年後だとして、それまでに語彙が揃う気もしない。職業をやめれば揃うのか、続ければ揃うのか、それも判断がつかない。
家に着いて、靴を脱ぐとき、妻が「楽しかった?」と聞いた。「まあ」と返した。コートをかけて、ネクタイを外しながら、自分が今夜「ぼちぼち」「いやいや」「まあ」の三語で職業の話を切り抜けたことに気づいた。三語で済ませられる職業を、二十年やっている。
——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。3稿を並置しています。