自分の学問を、自分で反証することについて
——あるOR講演を経済学者として聞いて

ミズノハルキ(経済学/ソノダマリの大学時代の先輩)

ある先生がORの講演をされた。30年やってきた、最近思うことを話したい、と。経済学者として聞きに行った。聞いて、いろいろ考えた。書きたいことが溜まったので、書く。

講演そのものは、しずかだった。淡々としていた。でも内容は、しずかな分だけ、深いところに刺さった。マイク越しに落ちてきたのは、こんな言葉だった——「ORは効率化を追求しすぎて、人を切り捨ててきた。30年やってきた私は、いま反省している。21世紀のORは Dignity を目指したい」。

会場の理工系の学生たちは、どう受け取っただろう。私は経済学者として座っていたので、たぶん別のものを見ていた。書く。

一.講演者は、自分の学問の前提を、自分で反証していた

スライドには、具体的な事例が並んでいた。冷たい数字とともに。

たとえば1990年代のDEC——デジタル・イクイップメント・コーポレーション——のグローバル・サプライチェーン最適化プロジェクト。OR の手法で在庫と配送網を再設計した結果、年間1億ドルのコスト削減に成功した。配送センターは33から12に減り、取引先は3000社から3分の1になり、従業員数も半減した。教科書に載るレベルの「成功事例」だったんですよね。

年1億ドル削減。配送センター33→12。取引先3000社→1/3。従業員数半減。
そして4年後、DECは消滅した

もう一つ挙がっていたのが、2009年のGM破綻と再生のケース。ORを駆使した工場閉鎖、人員削減、年金圧縮の最適化計画によって、わずか40日でチャプター11を脱出するという、これも教科書的な「成功」だった。だが結果として、デトロイトという都市が財政破綻した。最適化された企業の周りに、最適化されなかった都市が残された。

もっと遡れば、1942年のイギリス本土防空。OR の祖先である Operations Research の最初期の応用は、ドイツ機を1機撃墜するのに必要な弾数を、2万発から4000発へ——5分の1へと削減した。輝かしい成功です。戦争のためのORが、戦後のオペレーションズ・リサーチを生んだ。

これらが、淡々と並べられた。「成功事例として習ってきた。でも本当にそうだったのか」と。

私は経済学者として座っていて、別のものを見ていた。ORが、ORを反証していたのだ。30年その学問をやってきた人が、その学問の誇らしい成功事例を、いま自分で反例として並べている。これは敗北の告白ではない。30年やってきたからこそできる、自分の学問への問い返しだと思う。

二.経済学もまた、自分の前提を、自分で反証してきた

講演を聞きながら思い出していたことがある。経済学もまったく同じことをやってきたんですよ。

古典派経済学は「合理的経済人」を前提にしていた。すべての人は完全な情報を持ち、自分の効用を最大化するように行動する、と。19世紀末の限界革命でこの前提はいったん精緻化された。20世紀半ば、サミュエルソンの顕示選好理論が「人は実際に何を選ぶかで効用が定義される」と裏返した。これでもうかなり危ういんですよ。観測できないものを、観測できるもので定義し直すという循環が始まっていた。

そして20世紀後半、カーネマンとトヴェルスキーが行動経済学の基礎を築いた。プロスペクト理論、フレーミング効果、ヒューリスティクスとバイアス。「人は合理的ではない」と、経済学は経済学の前提を自分で否定した。さらにセイラーとサンスティーンの「ナッジ」、センの「ケイパビリティ・アプローチ」、ヌスバウムの「人間開発の10の中心的能力」。これらは全部、古典派の合理的経済人モデルを、経済学が経済学の内側から反証していった軌跡なんですよね。

つまり——経済学が深化したのは、自分の前提を自分で疑った瞬間からだった。

面白いのは、その「疑い」がいつも、最深部からしか出てこなかったことだ。古典派の表層的な批判者は19世紀にもいた。マルクスもいたし、歴史学派もいた。でも経済学を深化させたのは、外からの批判ではなく、内側からの自己反証だった。サミュエルソンが顕示選好を持ち出したのは、彼が古典派をいちばん深く理解していたからだし、カーネマンが行動経済学を作れたのは、彼が合理性モデルの限界を知り尽くしていたからだ

30年やってきた一人の話を聞きながら、私はこの構造をORに見ていた。30年その学問をやってきた人だからこそ、その学問のいまの限界に立てる。3年やった人には言いにくい。10年でも言いにくい。30年やって、自分が誇りに思ってきた成功事例を、自分の手で反例として並べ直せる人——学問の次の手は、たぶん、そういう人の手元から出てくるんじゃないですか。

三.グッドハートの法則は、ORに帰ってくる

経済学にはグッドハートの法則というのがある。1975年、イングランド銀行のチャールズ・グッドハートが定式化した。原文はこうです——「測定対象となった指標は、その名目上の目的として機能することをやめる」。

たとえば「論文数で研究者を評価する」と決めた瞬間、論文数は研究の代理指標であることをやめて、研究者にとっての目的そのものになる。「テストの点数で学校を評価する」と決めた瞬間、テストの点数は教育の代理指標であることをやめて、教育の目的になる。代理指標が目的になると、本来の目的——研究、教育——は萎縮する。

DECで起きたのは、まさにこれなんですよね。コスト削減という代理指標が、企業の存続という本来の目的を食い尽くした。コストは下がった。会社は消えた。グッドハートの法則の、教科書みたいな実証だったわけです。

ところが面白いのは、このグッドハート自身が経済学者であって、しかも中央銀行の現場でこの法則に到達した人だったということなんですよね。1970年代のイングランド銀行で、マネーサプライM3を金融政策の目標として明示的に据えた瞬間、それまで貨幣需要の良い代理指標だったM3は、制御変数として機能しなくなった。グッドハートは机の上で書いたのではなく、その現場で殴られた経済学者だった。OR研究者もまた、サプライチェーンの現場で同じ痛みを通った。違う現場、同じ法則、同じ痛み。痛みを通じて学んだ学問は、強いんですよ。

「Dignity を目指したい」という一節を、私は経済学者として、「目的関数の選び直し」として受け取った。ORは線形計画法でも整数計画法でも、最初に「何を最大化/最小化するか」を決める。コストか、時間か、リスクか。目的関数の選択は、いつだって倫理的選択だ。技術的選択ではない。だが20世紀のOR教育は、それを技術的選択として扱ってきた。壇上では、そこに気づいたとはっきり言われていた。30年かけて、と。

これは恥ずかしいことではない。学問が少し大人になっていく、そういう局面なのだと思う。

四.鏡の逸話と、人間の感覚が乗らない目的関数

講演の中に、ひとつ印象的なエピソードが挟まっていた。ニューヨークのある高層ビルで、エレベーターが遅いという苦情が殺到した。エレベーターの台数を増やすには莫大な工事費がかかる。OR でスケジューリングを最適化しても、苦情はあまり減らなかった。

ある人が言ったそうだ——「ロビーに鏡を置いてみたらどうだろう」。

置いた。苦情は劇的に減った。エレベーターの待ち時間は1秒も短くなっていない。鏡を見て身だしなみを整える人間は、待ち時間を「待ち時間」として認識しなくなる。それだけだった。

これは古典的な「主観的厚生 vs 客観的厚生」の問題なんですよね。客観的な待ち時間は変わらない。でも主観的な苦痛は消える。厚生経済学はこれを長らく扱いあぐねてきた。Sen が「効用は不十分な指標だ」と言い、Nussbaum が「ケイパビリティを足せ」と言ったのは、要するに「人間の感覚は、目的関数に乗りきらない」という指摘だった。

ORは現場で、これを発見してしまった。鏡で苦情が消えるという経験を通じて。これは、ある意味で経済学者として羨ましい話なんです。

ここはフェアに書いておきたいのですが、経済学のほうも、行動経済学の系譜は廊下とロビーに出てきている。臓器提供のオプトアウト方式、退職金の自動加入(セイラーの Save More Tomorrow)、英国の Behavioural Insights Team が税務通知の文面を書き換えるだけで未収税を何十億ポンドぶん動かした事例。経済学もまた、論文の中だけで完結してきたわけではない。

それでも、ORの鏡が美しいのは、その装置があまりにも素朴だからだ。1メートル四方のガラス1枚——「最適化の言語ではない何か」が必要なのだということを、これほど少ない部品で示してしまった。私はこの素朴さに、経済学者としてちょっと嫉妬します。

そして、そういう「人間の感覚が乗らない目的関数」に気づいた瞬間、ORは別の学問になり始める。線形計画法の延長線上にはない、もっと厄介で、もっと美しい何か。壇上で「Dignity」と名指されたもののベクトルは、たぶんその方向を向いている。

五.Efficiency → Equality → Equity → Dignity の進化

講演の後半は、こんな整理だった。20世紀のORは Efficiency を最大化してきた。21世紀には Equality が議論に入った。さらに Equity(個別事情に応じた公正)が加わり、いま到達しつつあるのが Dignity だ、と。

これを聞いて私は、経済学が辿った道とまったく同じだと思った。

ベンサム的な効用主義が「最大多数の最大幸福」を提唱したのが18世紀後半。これがEfficiencyに対応する。19世紀末のパレートが「誰も損させずに誰かを得させられる配分」を厳密化したのが Pareto 効率性で、これも広い意味では Efficiency の精緻化だった。20世紀後半、ロールズが『正義論』で「無知のヴェールの背後で選ぶ原理としての公正」を提示した。これが Equality と Equity の橋渡しだった。さらにアマルティア・センが Capability Approach を、マーサ・ヌスバウムが10の中心的能力を提示した。これが Dignity に対応する。

つまり、社会的選好関数の歴史は——Bentham 効用主義 → Pareto 効率 → Rawls 公正としての正義 → Sen capability → Nussbaum dignity——という順序で進化してきた。

経済学は200年かけてこの道を辿った。
ORは30年で辿り直した。

これは経済学者として、ちょっと圧倒される速度なんですよ。なぜそんなに速いか。たぶん、ORは現場で殴られるからだ。経済学は黒板の上で議論できる。ORは工場とサプライチェーンと医療現場で実装される。実装した結果が4年後にDEC消滅、というかたちで返ってくる。痛みのフィードバックループが速い学問は、進化も速いじゃないですか。

そう思うと、20世紀のORが Efficiency に集中していたのは、必ずしも倫理的怠慢ではなかった。それは、その時代に必要とされていた仕事だった。戦時の防空、戦後の物流、20世紀末のグローバル化。Efficiency という言語でしか答えられない問いが、当時の社会から発されていた。20世紀のOR研究者たちは、その問いに正面から答えてきた。そしていま、問いそのものが変わったことに気づいた。問いが Dignity に変わったから、ORも変わる。これも、学問の自己更新のひとつの姿だと思います。

六.アイスクリーム屋、ナッシュ均衡、そして「両端の客」

もうひとつ書いておきたいことがある。私の同僚の藤原蓮が、別のエッセイ——or-poem.html——で、この話題を詳細に展開している。経済学の古典で言う Hotelling 1929 のアイスクリーム屋モデルだ。

砂浜に2軒のアイスクリーム屋がある。客は最も近い店で買う。各店は客を最大化するために場所を選ぶ。すると2軒は砂浜の中央に集まってきて、隣り合って店を出すのが均衡になる。両端にいる客は、店まで遠く歩かされる。これがホテリング的競争のナッシュ均衡で、政治の中位投票者定理、商業の中央寄せ、メディアの中央化、すべて同じ構造です。

蓮が指摘していたのは、現代のLLMもまさにこの中央寄せをやっているということだった。最も多くのユーザーを満足させるために、回答が「中央」に集まってくる。両端のユーザー——マイノリティの問い、専門的な問い、外れ値の問い——は、サービスから取り残される。医療における受診難民、教育における取り残される子どもたち、行政における届かないサービス、すべて同じ構造の現れだ。

ここまでは蓮が書いた。私が経済学者として付け加えたいのは、こういうことだ——この構造を発見した数学が、その同じ数学で「両端の客を救う設計」を描けるかどうか

これはORの未来の問いだと思う。ナッシュ均衡を発見したのもゲーム理論で、メカニズムデザインを発見したのもゲーム理論だ。ハーヴィッツ、マスキン、マイヤーソンがノーベル賞を取ったメカニズムデザインは、「均衡が悪い結果になる場合、ルールを設計し直して別の均衡に誘導する」という発想だった。同じ道具で、問題を発見し、解決を設計する。

「Dignity を目指したい」という宣言の向こうに、私が見ていたのはそこなんです。Efficiency の最適化ツールとしてORを使ってきた30年が、実は Dignity の設計ツールとしてORを使うための準備期間だった、という再解釈の可能性。ORは、自分自身を新しい用途に転用する技術と語彙を、すでに持っている。

結び.「ツール」から「杖」へ——学問の自己反証について

長く書いた。最後に、いちばん書きたかったことを書く。

このエッセイシリーズ「肩代わりせず、肩を貸す」のメタファーで言えば、20世紀のORは「ツール」だった。人間の判断を肩代わりする道具。最適解を返す機械。21世紀のORは「杖」になろうとしている。人間が自分で歩くのを支える、そばに立つ存在。

そしてこの転換が起きるためには、ORがOR自身を反証する必要があった。「最適化は良いことだ」という前提を、最適化を極めることでしか反証できなかった。DECを最適化して消滅させた経験、GMを最適化してデトロイトを破綻させた経験、それらの痛みを通してしか、「効率化は無条件に良いものではない」という命題に到達できなかった。

これは敗北ではない。学問が少しずつ深くなるときによく見られる経路のひとつだと、私は思う。

経済学はまだ、この種の自己反証を学問の土台のレベルではやり切れていない——と、自分の領域のこととして書いておきたい。GDPという目的関数の代わりに何を置くのか、Stiglitz-Sen-Fitoussi 委員会(2009年)以来、長く議論はあるけれど、まだ合意できていない。

ただ、何もしてこなかったわけではないんですよ。HDI(人間開発指数)は1990年から国連開発計画の中心指標になっている。ニュージーランドは2019年にウェルビーイング予算を組んだ。OECDの Better Life Index も実装された。Roth と Shapley のマッチング理論は腎移植のドナーとレシピエントを救命している。Sen も Nussbaum も Thaler も、机の上の名前ではなく、政策と現場で動いている。実装の最先端は、案外、前進している。

それでも、教科書の中核——とくに学部初年次のミクロ経済学——は、いまも効用最大化のままだ。実装は走っているのに、土台の語彙が遅れている。ORは規模が小さい分、現場と語彙の距離が短く、土台ごと更新できた。経済学は規模が大きい分、現場と教科書の距離が長くなり、土台の更新が遅れている。これは優劣ではなく、学問のサイズと現場との距離の問題だと、私は思っています。

あの講演を聞いて、私は経済学者として、嫉妬と尊敬の入り混じった感情を抱いた。30年やってきた人が、自分の学問の誇らしい成功事例を、自分の手で反例に分類し直す姿には、ちょっと心打たれるものがあった。

自分の前提を自分で疑える学問は、すこしずつ深くなる。
今日のORは、たぶん、その入口に立っている。

「ツール」から「杖」へ。肩代わりから、肩を貸すへ。Efficiency から Dignity へ。これらはたぶん同じ転換の、別の角度からの記述だ。哲学も、物理学も、医学も、自分の前提を自分で疑うところで一段深くなった経験を持っている。経済学は途中で、ORもその途中の景色を見はじめている、と私には見えました。

あのしずかな講演を、私はたまたま経済学者として聞きに来ていた。聞きながら考えたことを、書き残しておきたいと思った。それだけです。

水野 春樹