エンドウサクラ(32歳・献血ルーム看護師10年)
ルームは、来る人が献血のために来る。バスは違う。大学の構内、企業の駐車場、ショッピングモールの隅。その土地の人が、その日たまたまそこにいたから来る。だから私たちは、献血ルームを畳んで、その人たちのいる場所へ出ていく。朝、機材を積んだバスが動き出すと、いつもの蛇口も、いつもの戸棚もない一日が始まる。
バスの中は狭い。採血ベッドは四台、通路は人ひとりがやっと通れる幅で、すれ違うときは体を斜めにする。リクライニングのレバーは固くて、足側を倒すのに少し体重をかける。問診の簡易スペースはカーテン一枚で仕切るだけだから、隣の問診の声が、消そうとしても聞こえてくる。ルームでは壁だったものが、バスでは布だ。
窓の外では、発電機がずっと低く唸っている。空調も、装置も、照明も、あの音の上に乗っている。最初の頃はその音が気になって仕方がなかったけれど、いまは止まったときだけ気づく。受付テントの前にはのぼり旗が立っていて、風の強い日は一日じゅうばたばた鳴る。旗の布の、あの音だ。
企業の集団献血に行くと、「上司が行けと言われたんで」という人が来る。問診票を持つ手つきがどこか他人事で、座ったときの腕の置き方が硬い。自分で決めて来た人の腕は、不思議と最初からゆるんでいる。義理で来た腕と、自発で来た腕は、針を入れる前の緊張が違う——あくまで私の体感だけれど、十年やっていると、駆血帯を巻いた瞬間に少し分かる気がする。
昼休みの工場の献血では、作業着のまま列ができる。油の匂いと、汗と、まだ温い弁当の匂いが、狭いバスの中に一緒に入ってくる。袖をまくると、腕だけが妙に白い人がいる。日に焼けた手の先と、まくった腕の境目。一時間しかない昼休みの、その半分をここで使って、彼らはまた持ち場へ戻っていく。次の人、と呼ぶと、列がひとつ詰まる。
受付は、たいていバスの外のテントでやる。夏はまだいい。冬は、事務の人が膝掛けを巻いて、かじかむ指で番号札を配っている。建物の中の暖かい受付とは、わけが違う。採血する私たちはバスの中にいて暖かいのに、いちばん最初に人を迎えるその人だけが、ずっと外で寒さに当たっている。その不公平を、私は毎冬、見て見ぬふりをしてしまう。
終了時刻の間際になると、走ってくる人がいる。「まだ大丈夫ですか」と、息を切らして。受付の時計と、私の手元の進み具合を見比べて、間に合うかどうかを決める。間に合わせたくて、つい手が早くなる自分がいる。けれど採血は急いではいけない。深呼吸して、いつもの速さに戻す。走ってきた人の脈は、たいてい少し速いままだ。
その日の最後の人が終わると、撤収が始まる。抜いた血は、温度を保った保冷ボックスに、向きをそろえて収めていく。ベッドのリクライニングを起こし、針捨ての箱を封じ、カーテンを束ね、のぼり旗を抜く。発電機が止まると、急に世界が静かになって、自分の耳鳴りが聞こえる。来たときと同じように、バスは何事もなかったように見える。
ルームは、人が血を届けに来てくれる場所だ。バスは、こちらが血をもらいに出ていく場所だ。同じ針を、同じ手つきで刺しているのに、向きが逆になる。けれど運ばれていく先は、どちらも同じ、顔も知らない誰かのところだ。バスは、そういう善意の出前なのだと、発電機の止まった駐車場で、私はいつも思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。