フカクサアン(51歳・筆耕士29年)
秋になると、結婚式の招待状が来る。式場の宛名係から段ボールが届く。中には印刷の済んだ封筒の束と、宛名のリストが一枚。納期と部数が、付箋に書いてある。八十二通、十日後。新郎側と新婦側で、束が輪ゴムで分けてある。私はまず輪ゴムを外さずに、厚みだけを手で量る。一通にかける時間と、十日の日数を、指の腹で掛け算する。
リストを読むのは、字を読むのとは違う。間柄が、宛名の文法から透けて見える。夫婦は連名で、夫が右、妻が左、妻には名だけを添える。一家を招くときは「ご家族様」と結ぶか、子の名まで連ねるか、式場が新郎新婦に確かめた結果が、備考欄に小さく書いてある。肩書きのある人には、肩書きを宛名の上に小さく起こす。誰が誰をどう呼んでいるか、招く側の遠近が、私の手元のリストには並んでいる。
敬称の規則は、間違えると角が立つ。個人には様、会社や部署には御中、そして恩師には先生。リストに「○○先生」とあって、肩書きが「教授」と添えてあれば、様を重ねない。迷う行が一つでもあると、私は式場に電話をする。「この方は、先生でよろしいでしょうか。様と先生、どちらでお出しになりますか」。受話器の向こうで、新婦に確かめてきます、と保留になる。式の格を決めるのは私ではない。私は、決まったものを間違いなく書く。
注文には、毛筆と筆ペンの差がある。式場の担当者から、よく訊かれる。「値段がずいぶん違いますが、見た目はそんなに変わりますか」。私は風合いの話をする。毛筆は墨の濃淡が宛名一通ごとに呼吸する。筆ペンは均一で、整って、安い。会費制の気軽な会なら筆ペンで十分だし、ホテルの格式ある披露宴なら毛筆をお勧めする。式の格に、宛名の格を合わせる。それは新郎新婦が決めることで、私は両方の見本を一通ずつ書いて、送る。
書く順番にも、工夫がある。リストの順に書くと、同じ字が続くことがある。「田中」「田村」「田島」と田の字が三つ並ぶと、三画目の筆の癖が揃ってしまって、三通とも同じ手癖が出る。だから私はリストを並べ替える。姓の頭の字が散らばるように、自分で順を組み直してから書きはじめる。集中を保つのは才能ではなく、段取りなのだと、この仕事で覚えた。
招待状には、返信のハガキが同封されている。その表書きも私が書く。宛先は、新郎新婦の新しい住所。まだ二人が一緒に暮らしはじめてもいないうちに、私は新しい所帯の最初の表記を書くことになる。連名の姓は一つ、その下に二人の名を並べる。世帯としての二人の名前が活字でなく毛筆で書かれる、最初の機会かもしれない。私はそれを、祝う気持ちを乗せずに、淡々と書く。心が乗れば字は揺れる。景色は見えても、筆は揺らさない。
招かれた人が、封筒を手に取る。差出人を見るより先に、自分の名前を見る。式の話を聞くより先に、毛筆の自分の名前に出会う。それが、その人にとっての式の最初の一筆だ。門出を祝うという大切な役目を、宛名書きという小さな仕事が、いちばん最初に担っている。
八十二通を書き上げて、束ね直し、式場へ送り返す。来週も別の式の束が届く予定だ。さっき一本、電話を入れたところだ。「お宛名のこの方は、先生でよろしいでしょうか」。受話器の向こうで、少し驚いてから、確かめて答えてくれる。式の最初の一筆が筆耕なのだ。私の仕事は、いつもこの一言から始まる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。