フカミサトル(44歳・エレベーター保守点検員20年)
この仕事を二十年続けている。私が相手にするのは、たいてい人が乗っていない時間の機械だ。閉館後のビル、早朝のマンション。誰もいないかごを最上階まで上げて、また下ろして、巻上機のワイヤーロープの伸びを測る。新品で十六ミリのロープが、何年も使われると髪の毛一本ぶんずつ細くなる。その減り方を指と計器で覚えるのが、最初の数年だった。人ではなく、機械の側の時間に付き合う仕事だと思っていた。
エレベーターの保守には、月次点検というものがある。チェックリストがあって、巻上機の音、ブレーキの効き、かご位置の精度、扉の開閉、インターホンの通話、非常停止。項目を順に潰していく。インターホンの通話確認は、いつもただの作業だった。かごの中のボタンを押して、機械室か管理室で「聞こえますか」と言い合う。声が通れば、チェック欄に印をつける。それだけのことだった。
二〇〇九年、私は三年目だった。その日、担当区域のオフィスビルで停電があった。系統の事故で、地域一帯が落ちた。非常用発電に切り替わるまでのわずかな間に、八階建てのビルのエレベーターが、四階と五階の階の間で止まった。中に人がいるという連絡が、管理室から入った。一人。高齢の男性らしい、と。私は先輩と現場に向かったが、先輩は別棟の受変電を見に行き、かごの前に立ったのは、結局、私一人だったと思う。
閉じ込めの救出には、手順がある。まず安全を確かめる。次に巻上機のブレーキを手動で開放し、かごをいちばん近い階の戸が開く位置まで、少しずつ動かす。慌ててはいけない。ブレーキを一気に放せばかごは自重で落ちる。三方枠の向こうで、かごの床と乗り場の床の段差をなくす。それから戸を開ける。手順そのものは、頭にも体にも入っていた。入っていなかったのは、その手順を進めている二十数分のあいだ、扉の向こうの人に何を言えばいいか、ということだった。
マニュアルには、「閉じ込め発生時は、被災者に絶えず声をかけ、状況を伝え、安心させること」と書いてある。絶えず、と書いてある。だが、何を話すかは書いていない。私は三方枠に手を当てて、扉一枚を挟んだ向こうに、「いま、外に来ています。すぐに開けますから」と言った。男性の声が返ってきた。「うん」とだけ。低い、落ち着いた声だった。それきり、向こうは黙ってしまった。沈黙が、機械の唸りよりも重かった。非常灯の薄明かりが廊下にだけ落ちていて、私は扉の冷たさを手のひらに感じていた。
絶えず声をかけろ、とマニュアルは言う。私はブレーキの開放レバーに手をかけながら、口だけは動かし続けた。何を言ったか。たぶん、本当にどうでもいいことだった。「お仕事の帰りですか」。「もう少しで開きます」。返事は短かった。それでも、私が黙ると、扉の向こうの呼吸が速くなるのが、なぜか板越しにわかった。だから私は、思いきって訊いた。「お名前、伺ってもいいですか」。点検報告書に書くためでも、手順にあるからでもなかった。ただ、この人が一人ではないと感じてほしかったのだと思う。
男性は名前を教えてくれた。それから、私が訊くままに、釣りが趣味なこと、若い頃は伊勢湾へ通ったこと、いまは膝が悪くて岸からしかやらないことを、ぽつりぽつりと話した。私はかごを五階の戸が開く位置へ、五ミリ刻みで合わせながら、相槌を打っていた。顔は見えない。声だけが、三方枠の隙間から漏れてくる。声だけの人と、私は二十数分、話していた。かご位置が合った。段差を確認した。戸を開けた。
戸が開いて、初めてその人の顔を見た。七十は越えているだろう、小柄な男性だった。彼は明るくなった廊下で私の顔をじっと見て、「あんたか」と、それだけ言った。声と顔が、そのとき初めて一致した。二十数分、私の頭の中にいた声に、輪郭が与えられた瞬間だった。私はチェックリストの「閉じ込め救出」の欄に印をつけ、点検報告書に経緯を書いた。報告書の書式には、被災者と交わした会話を書く欄はない。だから、釣りの話は、どこにも残らなかった。
あれから二十年。私はいまも、人のいない時間の機械を点検している。ワイヤーの伸びをミリで測り、ブレーキの効きを耳で確かめる。でも、インターホンの通話確認のとき、「聞こえますか」と言い合うあの一瞬だけ、私は少しだけ違うことを考えるようになった。この線の向こうには、いつか顔の見えない誰かがいるかもしれない、と。あの扉越しの声が、私を、機械を見る人間から、声を聞く人間にしてくれたのだ。三方枠の冷たさは、いまでも手のひらが覚えている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。