夜中の、一台(第二稿)
深夜二時、会わない常連を数字で見つけた

フナコシミノリ(45歳・コインランドリー巡回管理人)

月のはじめに、五軒分の売上データを見る。台ごと、時間帯ごとの稼働回数が、一時間刻みの棒になって並ぶ。昼に山、夕方に山、夜が更けると棒は地に落ちる。深夜はどの店もほとんどゼロだ。一軒だけ、二時台に棒が一本立つ店があった。高さはいつも一。一回ぶんだ。

その時間に私はいない。巡回は朝と夕方だから、深夜の店内が何の匂いだったか、灯りがどう点いていたか、私は知らない。知っているのは翌朝のことだけだ。火曜の朝に行くと、その店の両替機が前夜より四百円ぶん軽く、洗剤の自販機が一本減っている。回したのは一人、入れたのは小銭でなく百円玉数枚と洗剤一個。深夜のことを、私はいつも翌朝の在庫から逆算で知る。

月をまたいでデータを並べると、その棒はいつも同じ場所に立つ。曜日で揃えて、はっきりした。火曜だ。火曜が四回ある月は四本、五回ある月は五本。開始は二時十分前後、洗濯一回、続けて乾燥が六十分、終わりは三時すぎ。回数も長さも、判で押したように同じだ。会わない常連が一人、毎週火曜の真夜中に来ている。これは確かなことだ。

乾燥六十分が、私には引っかかる。三十分で切り上げる客が大半のなかで、その人は毎回六十分をきっちり選ぶ。乾きが足りないのか、量が多いのか、待つあいだの六十分が要るのか。それは分からない。分かるのは、六十分という長さが毎週ぴたりと同じだということだけだ。グラフは回数と長さを映すが、その人がなぜ夜なのかは、一本も映さない。

夜勤明けの一回かもしれない。昼に干せない部屋なのかもしれない。ただの夜型かもしれない。動機のところだけは、どう数えても出てこない。防犯カメラを巻き戻せば顔は分かるだろう。けれど、問題が起きたときしか録画は見ない、と十年決めている。火曜の深夜に問題は起きていない。だから私は、その人を見ない。見ないまま、棒の高さで足りる。

私にできるのは、火曜の夕方の段取りだけだ。蛍光灯は、深夜に一本でも切れると暗い隅ができるから、点滅しはじめた球は火曜を待たずに替えておく。両替機には、前夜減った四百円ぶんを見越して千円札と硬貨を満たす。洗剤の自販機は、減った一本を補って満タンに戻す。会わない相手のために、会わない時間の店を整える。整えて、鍵を閉める。

火曜の夕方、最後にその店を出るとき、私は灯りが全部点いているのを確かめてから外に出る。あと数時間で、誰かが来る。私のいない店に、隅まで灯りがあって、両替機が満ちていて、自販機に洗剤が一個ある。それだけ確かめて、鍵を回す。

来月のグラフでも、二時台の棒を先に探すだろう。立っていれば、火曜の段取りを今月も続ける。立っていなければ、その理由も私には分からない。会ったことのない人の、洗濯一回・乾燥六十分という一本の棒を、私は毎月、目で確かめている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。