フリヤゴロウ(49歳・冷凍設備のサービスマン27年)
冷凍設備のサービスマンを二十七年やっている。凍らせる機械を直す仕事だ。一年のうちで、いちばん電話が鳴るのは七月だ。外が暑くなると、機械が音を上げる。涼しいうちは黙っていた設備が、気温が上がるにつれて、順番に手を挙げていく。夏は、私たちにとって戦いの季節だと言ってもいい。
七月の電話の鳴り方には、ひとつの法則がある。外の気温が一度上がると、その日のうちに鳴る件数も増える。天気予報で「今日は猛暑日」と聞くと、私はもう昼前から携帯を握っている。冷凍機は、外が暑いほど余計に働かされる。中を冷やすために汲み出した熱を、外の空気に捨てるのだが、その外がもう熱を持っているから、捨てきれずに溜まっていく。気温と故障は、たぶん比例しているのだろう。機械の限界が、いちばん見える季節だ。
電話が重なると、行く順番を決めなければならない。同じ「冷えない」でも、待たせていいものと、いけないものがある。スーパーの冷凍ケースは、止まれば商品が解けて廃棄になる。それでも、損は金で数えられる。だが病院の薬品用の冷蔵庫は、金では数えられないものを預かっている。ワクチンや血液製剤は、温度が上がれば戻らない。だから私は、スーパーには「あと二時間、扉を開けないで待ってください」と電話で頼み、先に病院へ走る。順番をつけるのは、いつも胸が痛む作業だ。
夏の故障で、いちばん多いのは屋上だ。室外機――熱を捨てる側の装置が、炎天下で目詰まりを起こす。凝縮器という、細かいフィンが幾重にも並んだ部分に、綿ぼこりや枯れ草や、ときには鳥の羽根が貼りついて、風の通り道を塞ぐ。熱を捨てる場所が塞がれば、機械は熱を抱えたまま回りつづけ、やがて音を上げる。私は屋上で、ブラシと洗浄機を持って、その目詰まりを落とす。鉄板の上は五十度を超えていることもある。熱を捨てる側の掃除を、いちばん熱い場所でやる。
夏のあいだ、私はなるべく部品を換えない。正確に言うと、本修理を秋まで延ばす。真夏に冷凍機を止めて部品をそっくり交換すれば、その間、庫内の温度は上がりっぱなしになる。だから夏は、応急の処置で「夏を越させる」ことを優先する。詰まりを落とし、ガスを足し、だましだまし回す。きちんとした部品交換は、涼しくなって、止めても被害の出ない季節になってからだ。応急と本修理の線引きは、季節が引いている。
冷凍倉庫の中はマイナス二十五度だ。一歩外へ出れば三十五度。その差、六十度を、私は一日に何度も往復する。庫内で凍えながら作業をして、扉を出た瞬間に汗が噴き出す。この往復が、いちばん体にこたえる。夏の現場で怖いのは、機械の熱中症ではなく、自分の熱中症のほうだ。冷えた庫内にいると、汗をかいていないから水を飲むのを忘れる。気づいたときには、頭が重くなっている。温度差を行き来する体は、たぶん知らないうちに削られているのだろう。
お盆も、私は当番で待機している。世間が休んでいるあいだ、冷凍機は休まない。むしろ、店も倉庫も人手が減るぶん、異変に気づくのが遅れて、電話は深夜に鳴る。家族が帰省する話をしているのを横で聞きながら、私は携帯を枕元に置いて寝る。鳴れば起きて、出かける。それだけのことだ。淡々と、夏の当番をこなしていく。
そして九月。最初の涼しい朝が来る。窓を開けて、空気が変わったとわかる朝だ。その日、電話は鳴らない。外が涼しければ、機械は楽に熱を捨てられる。鳴らない携帯を眺めて、私はようやく、夏が終わったことを知る。鳴らない電話ほど、ありがたいものはない。
夏が、冷凍屋の本番なのだ。一年でいちばん呼ばれ、いちばん体を削られ、いちばん感謝されない季節。けれど、誰かが屋上で熱を捨てつづけているから、夏の食卓は冷えている。それでいい。私はまた、来年の七月を待つ。携帯の電源を切らずに。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。