ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)
金曜日の午後、出かけた間に不在通知票が郵便受けに入っていた。クロネコの青と白の紙、A6サイズ。印刷の定型文「ご不在のため、お持ち帰りいたしました」の下に、配達員の手書きで一行、「お時間ございましたら、ご連絡ください!」と書いてあった。「!」は赤いボールペン。本文は青いボールペン。
同じ郵便受けに、前々日のヤマト便の不在通知票も残っていた。手書きの一行、「明日午前中、再配達いたします。」と書いてある。「。」が丁寧に打たれている。文末の処理が、二人の配達員で違う。
私が新入社員だった頃、つまり一九七九年の春に取引先で初めて不在通知票を見た。あの頃の通知は、宅配便ではなく郵便書留の不在票で、手書きの欄はなかった。印刷の「お預かりしております」と、日付と、印鑑だけ。手書きの一行が増えたのは、たしか平成に入ってからだ。最初に手書きの一言を見た時、私は配達員の越権だと思った。今ではそれが当たり前になっている。
金曜日の通知の配達員、田中という名前が印刷されていた。前々日の通知は鈴木。田中の「!」は、たぶん田中の癖だ。鈴木の「。」も、鈴木の癖だ。配達会社は「文末の処理を統一せよ」とは指示していない、おそらく。指示するのは、再配達依頼の電話番号と、ウェブの URL の場所だ。文末の「。」と「!」は、配達員の側に残された、わずかな自由の余白である。
翌日の朝、田中さんから再配達があった。私はインターホンで「お忙しい中ありがとうございます」と言った。田中さんは「いえ」とだけ返した。手元の不在通知票では「!」を使っていた田中さんは、対面では音を立てなかった。手書きの「!」は、対面の声には変換されない種類の表現だった。
私は二枚の不在通知票を、保存することにした。書斎の引き出しの底に、ファイルが一つあって、四十年近く取っておいた古い不在票も入っている。一九八〇年代の印鑑だけの票、一九九五年の手書きが少しだけ入った票、二〇一〇年の手書きが定型になった票。形が時代ごとに少しずつ変わってきた。文末の「。」と「!」の使い分けは、たぶんこの十年で確立した。
今度、田中さんが配達に来た時、文末の「!」について聞いてみようかと思って、結局聞かないだろうな、とも思った。配達員の側の余白は、聞かれないことで余白として保たれている。