※本エッセイはすべて創作です。登場するスローガン・指導案・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる教育機関・行政・著作とも関係ありません。
モチヅキカナデ(授業資料制作アシスタント)
大学院の図書館の地下三階に、古い指導要領の冊子が並んだ棚がある。背表紙が日に焼けて、平成の元号がわずかに読み取れる程度の濃さに沈んでいる。修論の参考資料を探していて、なんとなく一冊抜いた。1989年、平成元年版。冊子はぱらりと軽く、表紙の指紋の脂の跡が、もう何十年も前のものだ。
最初のページに、こうあった。「自ら学び自ら考える力の育成を重視する」。1989年の文部省が、これからの30年に向けて差し出した一行だった。
30年後の私は、修士の指導案で「主体的・対話的で深い学びを実現するための授業改善を図る」と書いていた。語尾の硬さがそっくりだった。30年隔てて、同じ手つきで書かれた一行が二つ並んでいる。冊子を閉じて、ページの埃を指でこすった。
10年に一度、文部省(のち文部科学省)が学習指導要領を改訂する。改訂のたびに、その時代の「ねらい」が一行のスローガンとして掲げられる。私は集計者として、過去30年の改訂の言葉を年表にしてみたことがある。架空の年号で書く。表題と、表題を支える解説書の語尾を、並走させる。
第一期(80年代末)「自ら学び自ら考える力」
解説書の語尾:「〜を一層重視する観点に立つことが必要である」
第二期(90年代末)「ゆとりの中で生きる力を育む」
解説書の語尾:「〜の育成にあたっては、各学校が地域の実態に応じた創意工夫を重ねることが期待される」
第三期(00年代末)「確かな学力と豊かな心」
解説書の語尾:「〜の調和的な育成を図ることが、ますます重要となっている」
第四期(10年代末)「主体的・対話的で深い学び」
解説書の語尾:「〜の実現に向けた授業改善を、組織的・計画的に進めることが求められる」
第五期(20年代後半、現行)「探究的な学びと個別最適化」
解説書の語尾:「〜の一体的な充実を図ることが望ましい」
並べてみた。表題のラベルは10年ごとに更新されているが、解説書の語尾——「重要である」「期待される」「望ましい」「求められる」——は、30年間ほぼ変わらない。本省の文体は、語尾のレベルでは更新されない。更新されるのは、語尾の前の名詞のほうだけ。
そして、ラベルが付け替えられた直後の数年は、現場の教員も学生も、新しいラベルを覚えるのに必死になる。「これからは『主体的』ですよ」「これからは『探究』ですよ」。新ラベルが配られた研修会の机の上に、前のラベルの冊子が載っている。誰も、前のラベルが何を釣っていたかは振り返らない。10年後、また付け替わる。釣ろうとしている魚は、たぶんずっと同じだ。
第四期の「主体的・対話的で深い学び」が、現場で一番おかしな反応を引き起こしたスローガンだった、と先輩教員に聞いたことがある。子どもに対して「主体的に学べ」と言うのは、まあわかる。問題は、同じ年に出た指導者向け解説書に、こうあったことだ。
「教員は、主体的・対話的で深い学びを実現するため、授業改善に主体的に取り組むことが求められる」。
子どもにも「主体的」、教師にも「主体的」。同じ語が、上下両方向に押し付けられる構造。「主体的」が、二重売りされていた。
「主体的」という語の本来の意味は、「他から指図されずに、自分で動くこと」のはずだ。けれど指導要領の文脈で「主体的に取り組め」と命じられた時点で、それはもう他から指図されている。語が自己矛盾しながら、上から下へ流れていく。校長から教員へ、教員から子どもへ。「指示されて主体的になる」という、奇妙な動詞の運用が、現場の朝礼で再生産される。
複数校の校内研修議事録を集計する作業のなかで、こういう一文に何度かぶつかった。「来年度の校内研究テーマは『主体的に学ぶ生徒の育成』に決定しました。各教員は、主体的にこのテーマに取り組んでください」。
第五期に入ってから、語の数が爆発的に増えた。「コンピテンシー」「ルーブリック」「PBL」「個別最適化」「STEAM」「アダプティブ」「メタ認知」「振り返り」。本省の冊子のページをめくると、見開きあたりカタカナ語が3つ4つ並ぶ。それぞれに正確な定義があるのか、私にはわからない。たぶん、書いている人にも完全にはわかっていない。
これらの語が、学校現場でどう「使われる」かを、複数校の通知文と職員会議の議事録テキストの集計から拾った。月曜の朝の職員会議。学年主任が、本省から降りてきた通知を読み上げる。
本省の語:「探究的な学習過程において、ルーブリックを用いた形成的評価を導入し、メタ認知の活性化を図ることが望ましい」
主任の翻訳:「ええっと、つまり、子どもに自分で調べさせて、評価表を渡して、振り返らせろ、ということです」
担任のさらなる翻訳:「要するに、調べ学習やって、最後に感想書かせろってことね」
本省の語が、学校に降りるたびに摩耗していく。通知文の「ルーブリック」が、職員会議で「評価表」になり、教室で「シート」になり、最後は「あの紙」になる。三段階の翻訳を経て、ようやく「あの紙」として子どもに届く。子どもにとって、それは紙である。「メタ認知」を活性化する目的で配られた、ただの紙。
本省の語彙→学校の語彙の翻訳は、教員の朝の30分を奪う。通知の朝に、誰かが「ルーブリックって何ですか」と聞き、誰かが説明し、誰かが「要するに評価表ですよ」と引き取る。その30分は、勤怠の記録には残らない。
修士1年の冬、教育実習の指導案を書いた。中学2年の国語、宮沢賢治『やまなし』。指導案の冒頭、「単元のねらい」の欄に、私はこう書いた。
「主体的・対話的で深い学びを通して、児童生徒が言語活動の中で自らの思考を深化させ、対話的な学習活動を通して他者との協働的な学びを実現し、深い学びへと至る授業の構築を目指す」。
一文に「主体的」が1回、「対話的」が2回、「深い学び」が2回。読み返してみると、何も言っていない。本省の冊子をそのまま貼り付けて、語の頻度だけを上げて、自分の指導案を本省の言葉で塗りつぶした。指導教員は赤ペンで、その一文の脇に「?」とだけ書いて返してきた。
あの夜、自宅のアパートで、「?」を見つめてキーボードに手を置いたまま、何も書き直せなかった。本省の言葉を抜いたら、自分の指導案には何も残らなかった。23歳の私は、本省の語彙を借りなければ、教育について何ひとつ言えない人間だった。
結局、その日のうちに書き直した文は、こうなった。「『やまなし』の、川底で泡が次々に出てくる場面で、生徒が自分なりの絵を描けるところまで持っていく」。指導教員はこちらに○をつけて返してきた。「主体的」も「対話的」も「深い学び」も、一語も入っていなかった。
○のあとが長かった。修士2年の研究授業の指導案では、私はまた「主体的・対話的で深い学びを実現するため」と書いた。同じ指導教員が、また「?」を入れた。三度目の指導案で、ようやく自分は本省の語を抜いて書けるようになった。一回の○で抜けるほど、語の癖は浅くなかった。23歳の指導案のファイルが、いまも手元にある。たまに開いて、「?」と「○」と、その後の「?」を、順番に見る。本省の文体は、自分の中に二年居座った。
図書館の地下三階で抜いた1989年の冊子に戻る。「自ら学び自ら考える力の育成を重視する」。これは、第一期のスローガンだった。
30年後の現行のスローガンは、「探究的な学びと個別最適化」だ。並べてみると、語の意匠は違うが、釣ろうとしている魚は変わっていない。「子どもが自分で問いを立てて、自分で調べて、自分で考える」。1989年も、2020年代後半も、本省が欲しがっている子どもの像は、たぶん同じだ。
違うのは、ラベルの新しさだけだ。1989年の「自ら」は、今読むとやや古風に響く。「自ら」を「主体的」に、「主体的」を「探究的」に、10年に一度、語の表層だけを更新していく。語が古びるたび、新しい語が補充される。30年前の「ゆとり」と、今の「探究」は、たぶん同じことを言っていた。違うのはラベルだけだった。
第六期が来たら、たぶん「探究」は古びる。代わりに、別のカタカナか、別の漢字四字熟語が降りてくる。先輩教員は新しい研修会で、新しいラベルの冊子を受け取る。前のラベルの冊子は、そのまま職員室の戸棚に積まれて、10年後、誰かが捨てる。私が地下三階で抜いた冊子のように。
図書館の地下三階で、冊子を棚に戻すとき、表紙にもう一度、誰かの指紋の脂の跡が見えた。1989年に、この冊子を熱心にめくった誰か——たぶん30年前の若い教員——の手の跡だった。その人は、「自ら学び自ら考える力」を、自分の指導案に書き写したかもしれない。私の23歳と同じように。
その人は今、たぶん50代後半の教頭か校長になっている。職員会議で、若い教員に「主体的・対話的で深い学び」の通知を読み上げているかもしれない。30年前に自分が書き写した「自ら」の語が、いま「主体的」に置き換わって、自分の口から出ているのを、その人は意識しているだろうか。たぶん、していない。冊子は10年に一度、棚で入れ替わる。前の冊子のことは、あまり、振り返らない。
冊子を棚に戻した。背表紙の埃を指でこすった。地下三階の階段を上がると、地上の図書館は新刊の匂いがして、エアコンの音が低く回っていた。30年前の冊子の埃のあとに、新刊の匂いが乗ってくる。指の腹に、まだ古い表紙の脂が残っていた。
10年後、私が今書いている授業資料の「探究」も、消耗品として捨てられる。そのとき、新しいラベルの下で授業を作る誰かが、地下三階の棚で、私の世代の冊子をめくるかもしれない。表紙には、私の指の脂の跡がついている。
書き手・モチヅキカナデ(授業資料制作アシスタント)