ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
昼下がりのオフィスで、コバヤシさんがふと顔を上げた。「ソノダさん、明日の夜、空いてる?」声はいつもと変わらない、ごく事務的な調子だった。手元の資料に視線を落としたまま、ソノダは一瞬だけ考える。空いている。先週の疲れを引きずっているものの、特別な予定があるわけではない。むしろ、このところゆっくりと過ごしたいと思っていたくらいだ。「はい、空いてますよ」ソノダは正直に答えた。
コバヤシさんはにこやかに頷いた。「それならよかった。急なんだけど、日帰りで温泉に行かない?」彼女の言葉に、ソノダはわずかな戸惑いを覚えた。温泉。正直なところ、今はあまり気乗りがしない。けれど、「空いています」と答えたばかりで、すぐに断るのはどうにも気が引けた。温泉ですか…言葉を濁しながら、ソノダは心の中で、もし最初から「温泉に行きませんか」と聞かれていたら、どれほど素直に返事ができただろう、と思った。
「空いてる?」という問いかけは、単純な時間の有無だけを尋ねているわけではない。コバヤシさんも、ソノダも、そのことを言葉にせずとも理解している。互いに、その先に何らかの提案が控えていることを予感しているのだ。それは、相手の都合を慮る優しさなのか、それとも、断るための選択肢を一旦増やしておくための、ある種の段取りなのか。ソノダは思う。
本当のところは、最初から具体的な提案をしてほしい。そうすれば、心構えもできるし、余計な駆け引きも生まれない。
しかし、現実はいつも、言葉の奥に隠された意図を探ることを強いる。
結局、ソノダは曖昧な返事をした。「ちょっと考えさせてください」。コバヤシさんは「もちろん」と快く応じてくれたが、その顔にはわずかながらの失望の色が滲んでいたように見えた。あるいは、それはソノダの気のせいかもしれない。ともかく、一度「空いている」と表明してしまった後に、都合が悪いと伝えることの難しさ。それは、まるで目に見えない糸が絡み合っていくような、もどかしい感覚だった。人は、ただ空いているかどうかを問うているのではない。その先の何かを、互いに探り合っている。
夕焼けが窓から差し込み、机の端に置かれた書類の山を赤く染めていく。オフィスは静かで、キーボードの打鍵音だけが響く。ソノダは、また手元の資料に目を戻した。明日、コバヤシさんにどう返事をしようか。温泉の話は、もうしばらく頭の片隅に置かれたまま、いつの間にか冷めていく一杯のコーヒーのように、そこに存在するだけだった。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。