タケウチソウタ(16歳、高校2年)
毎朝、乗り換えの駅の階段を上がる。改札を抜けて右に曲がると、そこに人の流れがある。幅の広い階段を、上へ向かう身体と、下へ向かう身体が、まるで無言で線を引かれたように分かれて進む。誰の指示もない。だが、そう決まっている。朝の光が階段に縞模様を落とし、その中を人々が縫う。
足音が響く。革靴の硬質な接触音、スニーカーの低い摩擦音、焦る人の短い駆け足。一つ一つの音が混じり合い、低い地鳴りのように続く。皆、それぞれの速度で、互いの間合いを測るように流れていく。すれ違う瞬間、わずかに肩が触れるか触れないかの距離で、互いの存在を認識している。誰もが言葉を交わさず、ただ身体を動かすことで、その場に織りなされるパターンに加わる。
ある朝、その流れに一瞬の歪みが生まれた。スマートフォンを覗き込む男が、下りるべき列を逆らい、上り始めたのだ。手前の数人が、反射的に足を止める。驚きよりも、ほんのわずかな戸惑いが顔に浮かぶ。視線が、男の背中と、前方から来る上り客の間で一瞬交錯する。誰もが身をわずかにずらし、通路の端に寄る。男は気づかないまま、数歩進んだところで、ようやく顔を上げて立ち止まった。その表情には、自分が流れに逆らっていたことへの軽い困惑が滲んでいた。すぐに周囲の動きに合わせるように、小さく身体を半回転させ、正しい流れに合流した。淀みは、まるで水面に投げた石の波紋のように、すぐに消え去った。
金曜の夜、同じ駅の同じ階段。終電間際、人はまばらだ。疲労が滲んだ足音が、散漫に響く。規則正しさはなく、それぞれの足取りは重い。カフェインの匂いと、一日の終わりの気怠さが混じる。それぞれが、ただ自分の進みたい方向へ、ゆっくりと身体を運ぶ。朝のあの整然とした筋道は、そこにはない。右も左も関係なく、個々の軌跡が、曖昧な空間に散らばる。
そしてまた月曜の朝が来る。僕はいつものように改札を抜け、階段に向かう。考えるまでもなく、ごく自然に、上り列の右側に身体を寄せた。この無意識の所作こそ、僕らの日常の、多くの目に見えない約束事を支えている。そう、断言できる。