駅階段の左右の流れ
誰も決めていないのに

タケウチソウタ(16歳、高校2年)

毎朝、乗り換えの駅の階段を上がる。改札を抜けて右に曲がると、目の前に広がるのは、いつも同じ光景だ。幅の広い階段には、上を目指す人と下を目指す人の流れが、まるで目に見えない壁で仕切られているかのように分かれている。誰も「上りは右、下りは左」なんて張り紙をしたわけじゃない。誰も号令をかけたわけじゃない。それでも、自然とそう決まっている。

たくさんの人の足音が響く。トントン、トントン。規則正しいリズムだ。急いでいる人は少し早く、余裕のある人はゆっくりと、それぞれの速度で流れていく。まるで大きな生き物の体内を血液が巡るみたいに、一つ一つの体が淀むことなく、滑らかに進んでいく。そこにいる誰もが、その見えないルールを知っている。口に出すこともなく、ただ体を動かすことで、そのルールを守っている。

ある日の朝、僕はその流れが少し乱れるのを目撃した。スマホに夢中な男の人が、下りの流れに乗って上ってきたのだ。一瞬、上ってくる人たちの足が止まる。カオス、とまではいかないけれど、ほんの少しの滞り。誰も声を荒げることもなく、ただ互いの体を微妙にずらし、よけ、すれ違う。数秒後には、何事もなかったかのように、もとの二本の流れは元通りになった。身体は、誰よりも早く間違いを修正する。

その日の生物の授業で、先生がアリの話をした。エサを見つけたアリが、帰り道にフェロモンを残す。そのフェロモンをたどって、また別のアリがエサの場所へ向かう。たくさんのアリが、ただ目の前の、一番効率が良さそうな道を選び続ける。そうやって、最初はバラバラだった道が、いつの間にか一本の、最も短いエサへの道になるのだと。駅の階段で起きていることも、きっとそれと似ているんだろうと思った。誰かが踏み固めた、見えない道。それを僕たちも毎日毎日、たどっている。

金曜の夜、終電間際の駅は、朝とは全く違う顔を見せる。人はまばらで、足音もどこか重たい。階段を上る人も、下る人も、それぞれのペースで、それぞれの方向へふらふらと歩いていく。朝にあったあの厳然たる流れは、そこにはない。疲れた体を揺らしながら、みんながただ自分の進みたい方向へ進む。見えない壁は、金曜の夜には溶けてなくなっている。

あの秩序だった二つの川は、週末には干上がってしまう。そしてまた月曜の朝が来れば、何事もなかったかのように、水が満ちて流れ始めるのだろう。何百人もの身体が、毎日毎日、意識することもなく、その見えない地図を頭の中に描き、そして足元に書き直している。僕もまた、その繰り返しの、小さな一歩を重ねる。そしてまた、その流れの一部になる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。