ハバキリョウ(49歳・閘門の操作員25年)
水と生きる、という言い方がある。閘門の操作員を二十五年やってきて、その言葉を背負っているような気がしている。閘門というのは、水位の違う川と運河のあいだに作られた、水のエレベーターだ。前後に二枚の扉があって、その間の閘室に船を入れ、注水か排水で水位を上げ下げして、船を次の水面へ送り出す。一日に何度も、水でできた階段の扉を、私は開け閉めしている。
二〇〇一年、私は河川管理の事務所に入り、閘門の担当になった。二十四のときだ。それまで水のことなど何も知らなかった私が、来る日も来る日も水位の数字を見て暮らすことになった。最初に教わったのは、バルブの開け方だった。注水のバルブを回すと、閘室の底の方から水が湧くように入ってくる。水が増えれば、船は持ち上がる。理屈は子どもにもわかる。わからなかったのは、その速さだった。
配属されて間もないある日、私はバルブを勢いよく開けた。早く終わらせたかったのだと思う。すると閘室の中の砂利運搬船が、ぐらりと揺れた。船をつないでいた綱が、びんと張って、軋んだ音を立てた。船頭が無線で何か怒鳴ったが、聞き取れなかった。私は慌ててバルブを戻した。そのときの綱の張りを、たぶん私は一生忘れない。
そばで見ていた先輩が、こう言った。「閘門は急かすな。水は急に動かすと暴れる。船頭の顔を見て、水の速さを決めろ」。水の速さは、バルブの開度で決まる。だが、どこまで開けるかを決めるのは、メーターではなく、船の上の人間の顔なのだ、と先輩は言いたかったのだろう。私はその日から、水位の数字と、無線の声と、閘室の中の人の表情を、同時に見るようになった気がする。
閘門を通る船は、ほんとうにさまざまだ。砂利を満載した運搬船は、重くて沈み込んでいて、水の動きにどっしりと構えている。屋形船は、宴会の声が無線越しの背後に聞こえてきて、揺らすと客が騒ぐから、ことさらゆっくり上げてやる。プレジャーボートは軽くて気まぐれで、ちょっとの流れですぐ向きを変えてしまう。船ごとに癖があって、無線のやり取りの調子も違う。私はだんだん、声を聞いただけで船の重さがわかるようになっていった——ような気がする。
水位差は、季節で変わる。渇水の年は、川の側がやせて、水位差が大きくなる。注水にも排水にも時間がかかり、船を一隻通すのにずいぶん待たせることになる。雨の多い年は、その逆だ。同じ閘門でも、毎年、扱う水の量が違う。自然を相手にしているのだと、こういうときにいつも思い知らされる。
扉の点検も、私たちの仕事だ。水中にある蝶番には、藻が生え、貝が付く。これは水の中で動く扉の宿命のようなもので、どれだけ手入れをしても、また付く。私はときどき、水を抜いた閘室に降りて、扉の蝶番に付いた貝を、こそげ落とす。冷たくて、ぬるりとしている。誰も見ていない作業だ。船の来ない冬の閑散とした日、夜間の門の番、そういう静かな時間にこそ、門は世話を必要としている。
私の受け持つ閘門のひとつは、百年前に積まれた煉瓦の壁を、いまも現役で使っている。土木の遺産だ、と言う人もいる。けれど私にとっては、感傷の対象ではなく、毎日水圧を受け止めている、現役の壁だ。煉瓦のあいだから少し水が滲む箇所があって、私はその滲み方をいつも見ている。遺産だからではなく、壊れたら船が通れなくなるから、見ている。
あれから二十五年、私はずっと、水の速さの観察者であり続けてきた。バルブの開度を、メーターの数字を、綱の張りを、無線の声を、船頭の顔を見続けてきた。あの日、先輩に言われた「船頭の顔を見て、水の速さを決めろ」という言葉が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。水は、急がせれば暴れ、待てば応えてくれる。私はこれからも、この水の階段の扉を、開け閉めしていくのだろう。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。