ハバキリョウ(49歳・閘門の操作員25年)
閘門は、ふだん船を昇り降りさせるための施設だ。けれど台風が来ると、その顔が変わる。前後の二枚の扉を閉めて閘室に船を入れるのではなく、二枚とも開け放って、川の水をまっすぐ下流へ流すための通り道にする。船のための扉が、水のための扉になる。台風の数日は、私は自然の猛威と向き合うことになる。
台風が近づくと、まず河川事務所から連絡が入る。上流のダムが放流を始める、何時に何トン、下流の水位が何センチ上がる見込み、という数字が、無線とファクスで次々に届く。私はその数字を、閘門の上下流の水位計と突き合わせる。上流の放流は、何時間か遅れて、この閘門の水位になって現れる。私は紙に時刻と水位を書き並べ、扉を開けるタイミングを読む。
判断のいちばんの山は、いつ通船を止めて扉を全開にするか、だ。早すぎれば、まだ通れる船を無駄に止める。遅すぎれば、増えた水が閘室で暴れて、扉そのものを壊しにかかる。私は上流の水位が境の目盛りを超えるのを待って、通船中止を無線で流し、二枚の扉を全開の位置まで開け切る。船を入れるための八分の注水とは逆に、ここでは水を、ためずに、まっすぐ通す。閘門のいちばん大事な仕事は、こういう日にあるのかもしれない。
扉を開ける前に、運河に係留している船へ周知して回る。屋形船、釣り船、係留したままの古い漁船。増水で綱が切れれば、船は流されて橋脚にぶつかる。私は一艘ずつ、舫いを増し締めするよう声をかけ、動かせる船は上流の安全な岸へ移すよう頼む。たいていの船主はもう知っていて、すでに綱を足している。けれど毎年、連絡のつかない船が一艘か二艘あって、私はその船の舫いを、自分の手でもう一本足しておく。
暴風のさなかにも、見回りをする。雨合羽は意味をなさず、横なぐりの雨が顔を打つ。私は手すりを伝って、全開のままの扉が風で煽られていないか、固定のピンが効いているかを確かめる。上流から、折れた木や、どこかの桟橋の板や、発泡スチロールの塊が、次々に流れてくる。それが扉の隙間に挟まると、水の流れが乱れる。私は長い竿で、挟まりそうな大物を突いて落とす。けれど、風が強すぎる時間帯は、橋の上に出るのは危ない。どこまで点検してどこで引き返すかは、その時の風の音で決めている、と言えるかもしれない。
夜のあいだ、水はいちばん高くなる。私は詰所の窓から、暗い水面を見ている。水位計の数字だけが、ゆっくり上がって、ある時刻を境に、止まる。そこからは下がるだけだ。私は、ほっとする。けれど油断はできない。台風が過ぎても、上流のダムは何時間も放流を続けるから、水位がもとに戻るのは、晴れた空の下でのことになる。自然の力の前では、人間にできることはわずかなのだと、こういう夜に思い知らされる。
台風一過、空が嘘のように晴れる。けれど閘門の仕事は、ここからが本番だ。引いた水のあとには、漂流物の山が残る。扉の前にも、閘室のなかにも、折れた木の枝、流木、ペットボトル、ビニール、発泡スチロール、誰かの物干し竿まで、ありとあらゆるものが、泥にまみれて積み上がっている。私は職員と二人がかりで、それを竿で寄せ、網ですくい、手で運ぶ。木はずっしりと水を吸って重い。半日かけても、山は半分も減らない。
漂流物を片づけ終えると、私はようやく二枚の扉を閉める。閘室に水をためて、もとの水の階段に戻す。通船中止の無線を解いて、最初の一艘を迎え入れる。屋形船が、何ごともなかったように、ゆっくり閘室に入ってくる。針が、いつもの三メートル四十に向かって、ゆっくり上がっていく。
船を通す扉が、水を通す扉になる。それも閘門なのだ。ふだんは一艘ずつ船を丁寧に送り出すこの施設は、台風の数日だけ、人ではなく水のために働く。私は二十五年、その両方の顔を見てきた。船を昇り降りさせる日も、水をまっすぐ流す日も、扉を開け閉めしているのは、同じ私だ。台風が来るたびに、私はそのことを、少し誇らしく思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。