最終便の、返却(第二稿)
返却箱のない車では、本は人の手からしか戻らない

ハバヤマトモ(47歳・移動図書館の運転手14年)

この車に返却箱はない。次に来るのは二週間後で、その二週間後の十五分に、本は人の手から私の手へ渡される。固定館なら閉館後に箱へ落とせばいい。ここでは落とせない。返しそびれれば、期限は自動で次の巡回まで延びる。だから私は、返ってくる本を、一冊ずつ受け取って、表紙の角を見る。箱に落とされた本は状態が見えないが、手渡しの本は、見える。

借りる人は、端末の読み取り部を見て本を置く。返す人は、私の顔を見て本を載せる。「ありがとうございました」を多く聞くのは、貸すときではなく返すときだ。視線がこちらを向くからだと、十四年でわかった。借りていく人にとって本はこれから始まるもので、返す人にとっては、二週間預かったものを手放すところだ。手放すほうが、礼になる。

催促のはがきは、月末に端末から延滞者を抽出して刷る。先月は十一枚。宛名は印字、文面は「ご返却のお願い」の一行だけ。理由も期日も足さない。足すと、人は弁解を用意して来てしまう。はがきを出して三週間ほどで、四か月延滞していた園芸の本が戻った。開くと、ホームセンターの苗のレシートが栞代わりに挟まっていた。日付は、借りた週のものだった。私はレシートを抜かずに、端末で延滞を消した。

長く延滞した本を返す人の「すみません」は、声の置き方で違う。早口で言い切って踵を返す人。本だけ置いて、端末が鳴る前に背を向ける人。事情を話しかけて、二語めで呑む人。私はどれにも「お返しありがとうございます」とだけ返し、表紙の角の反りを確かめる。反りは、その本が誰かの暮らしに二週間以上いた跡だ。私は反りを直さない。直さないと決めている。

年度末、利用の少ないステーションには廃止の掲示が貼られる。「このステーションは三月末をもって巡回を終了します」。最後の火曜、ふだんは時間をずらして来る常連が、同じ十五分に集まった。最後の貸出を済ませ、最後の返却を手渡しで受ける。一人が掲示の前で頭を下げ、端末が、その人の返却で一度だけ鳴った。次に来る車はもうないから、その人は本を一冊も借りずに帰った。

半年前に町を出た女性が、車で戻ってきたことがある。手には一冊。「これだけ、返しそびれていて」。郵送でも、引っ越し先の図書館でもよかった。彼女はこの棚に載せ、端末が一冊ぶん鳴った。私は「お返しありがとうございます」と言い、彼女は本を借りずに、来た道を戻っていった。高速の料金は、私には言わなかった。

最終ステーションの終了は午後六時。撤収にテントの杭を一本抜いたとき、坂の上から人影が走ってくる。散歩ではない、胸に本を抱えている。私はエンジンに手をかけない。次のステーションへの所要は十二分、出発を六時八分まで延ばしても、最後の路線は時刻に間に合う。その八分を、私は何度でも使う。返却の本を受け取り、端末を鳴らし、相手の息が整うのを待って、それからエンジンをかける。二週間が、また一つ、手の上で閉じる。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。