ハバヤマトモ(47歳・移動図書館の運転手14年)
固定館なら、本は閉館後の返却箱に落とせばいい。けれど移動図書館に返却箱はない。次に車が来るのは二週間後で、その二週間後の十五分のあいだに、人の手から私の手へ、本は渡される。返しそびれれば、期限はさらに二週間先へ延びる。返却は、いつもまっすぐな手渡しだった。
夕暮れのことを思い出す。一日の最後のステーション、団地の広場に車を着けるのは午後五時半。日が傾いて、棚に差す光がオレンジ色に染まるころだ。終了は六時。撤収の合図にテントの杭を一本抜いたとき、坂の上から人が走ってくるのが見えた。胸に本を抱えている。その人の二週間が、いま終わろうとしていた。
不思議なことに、「ありがとうございました」は、貸すときよりも返すときに多く聞く。借りていく人は黙って端末の前に本を置き、返しに来る人は、本を私の手に載せながら、頭を下げる。借りた礼ではなく、返せた礼のように聞こえる。二週間、たしかに預かっていましたよ——そう答えたくなる手の、温度がある。
催促のはがきは、月末にまとめて出す。「ご返却のお願い」と印字された薄い紙だ。何か月も延滞していた本が、そのはがきの何週間か後に、ようやく戻ってくることがある。返しに来る人の「すみません」には、種類がある。早口で言い切る人、目を合わせずに置いていく人、事情を長く話したそうにして言葉を呑む人。私はどの「すみません」にも、ただ「お返しありがとうございます」とだけ返す。
年度末になると、路線が変わる。利用の少ないステーションは、廃止の掲示が貼り出される。「このステーションは三月末をもって巡回を終了します」。最後の日には、不思議と常連が顔をそろえる。ふだんは時間をずらして来る人たちが、その日だけは同じ十五分に集まって、最後の貸出と返却をしていく。掲示の前で、誰かがそっと頭を下げているのを見た。
あるとき、遠くから車で来た女性がいた。半年前に町を出て、引っ越し先からわざわざ高速を使って戻ってきたという。手には一冊の本。「これだけ、返しそびれていて」。郵送でも、近くの図書館でもよかったはずだ。けれど彼女は、この車のこの棚に、自分の手で返したかったのだと言った。借りた場所に返す、それだけのために、人は二時間の道を運転してくる。
最終ステーションの六時は、いつも少し延びる。坂を走ってくる人がいるかぎり、私はエンジンをかけられない。返却の本を受け取り、端末を鳴らし、相手の息が整うのを待つ。間に合った、という顔を見るために、私はあの十五分を、何度でも引き延ばしてしまうのだ。
二週間という単位で、本は人のもとを巡っている。借りて、暮らして、返す。その繰り返しのなかで、私はただ手を差し出して待つだけの存在だ。けれど思うのだ。返却とは、人と本が交わした、二週間の小さな約束を果たすことなのだと。手から手へ渡されるその一瞬に、約束のすべてが宿っている。だから私は、最終便のエンジンを、今日も少しだけ遅らせる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。