ステーションの、十五分
移動図書館の運転手になった年、観察者になった日

ハバヤマトモ(47歳・移動図書館の運転手14年)

三千冊を積んだ車で、町を回っている。図書館から遠い場所ばかりを巡る。団地の広場、山際の集落、廃校になった小学校の校庭。一か所の滞在は十五分から三十分。本の重みは、知の重みでもある。私はその重みを毎日運んでいるのだと、ハンドルを握りながら思うことがある。

運転手になったのは二〇一二年、三十三歳のときだった。それまでは長距離のトラックに乗っていたから、車には慣れているつもりだった。けれど移動図書館の車は、まるで勝手が違う。本棚を満載しているぶん重心が高く、カーブでぐらりと傾く。急ブレーキを踏めば、棚から本が飛ぶ。最初の一週間で、運転とは荷を労わることなのだと教わった気がする。

初めてのルートの朝のことを、よく覚えている。団地の広場に車を着けて、車体の横を開く準備をしていると、もう人が待っていた。開架の前である。本棚はまだ閉じているのに、おばあさんが一人、折りたたみの椅子に腰かけて、こちらをじっと見ている。私はてっきり、よほど読みたい本があるのだと思った。

同乗していた司書に、そのことを言った。すると司書は笑って、こう言ったのだった。「あの人たちは、本を待ってるんじゃないんですよ。曜日を待ってるんです」。火曜日の十時にここに車が来る。それが来るということを、確かめに来る人がいる。本はそのついでなのかもしれない、と。私はしばらく、その言葉の意味を考えていた。

開架の作業は、順番が決まっている。重い本から積み、重い本から出す。車体の横が大きく開いて、雨除けのテントを張り、ルート表と時刻を確認し、貸出のハンディ端末を首から下げる。リクエストの紙の束を輪ゴムで留めて、ダッシュボードに置く。この一連の流れを、体が覚えるまでに、やはり一年ほどかかったように思う。

雨の日は、開架するかどうかを毎回迷う。テントを張っても、本に湿気は回る。それでも来る人がいると思うと、閉じたままでは帰れない。返却だけして、傘も差さずに急いで帰っていくおばあさんがいた。借りていかないのですか、と訊くと、もう次の人が待ってるから、と言って、濡れた背中で去っていった。次の人など、いなかった。

二週間に一度、必ず来る子がいた。低学年の男の子で、毎回きっかり五冊借りて、次の巡回で五冊返す。借りるときも返すときも、ほとんど何も言わない。けれど端末に記録が残るから、私はその子が何を読んできたかを知っている。恐竜から宇宙へ、宇宙から昆虫へと、関心が移っていくのが、貸出履歴の中で手に取るように見えた。本と人との出会いとは、こういうことなのだろう。

あれから十四年。私は十五分の観察者になった。ステーションごとの、たった十五分。その短い時間に、待つ人の顔ぶれを覚え、変わっていく町を見てきた。本を貸すというより、私は時間を運んでいるのかもしれない。あの初めての朝、司書がくれた言葉が、私をいまの私にしてくれた。今日も車は重い荷を積んで、ゆっくりとカーブを曲がっていく。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。