御簾の、修理(第二稿)
神社から届いた古い建具を、次の何十年へ送り出すまで

ハチスケイ(49歳・簾職人27年)

春のはじめ、近郷の神社から御簾が一枚届いた。新調ではなく、修理である。木箱を開けると、黴と古い藺の匂いが上がってきた。思っていたより軽い。何十年も社殿の縁に掛かっていたものは、漆も竹も水気が抜けて、片手で持ち上がる。

見立てをする。縁布は光の当たる側だけ白茶けて、裏返すと朱が残っていた。編み糸は三本切れ、竹ひごは下端が二本欠けている。これは残す、これは替える。宮司さんと縁の框に御簾を広げ、指で押さえながら一箇所ずつ決めていった。縁布は替える、竹は二本だけ差し替える、糸は切れた段だけ綴り直す。全部を新しくすれば別物になる。残す側を決めるのが、見立てだ。

解きにかかると、昔の仕事と対面する。編み糸の結び目が、私の習った向きと逆だった。私は裏で右に倒して隠す。この御簾を綴った職人は左に倒していた。会ったこともない、たぶんもういない誰かの手の癖が、結び目ひとつから立ち上がる。私はほどく前に、その向きを指でなぞった。倒す向きが逆でも、糸は同じだけ隠れていた。どちらでも用は足りる。それでも向きが分かれたところに、人がいる。

欠けた竹を差し替える。新しい竹は青く、まわりの古竹は飴色だ。そのままでは一本だけ浮く。柿渋を薄めて刷き、軒下に立てかけて乾かす。柿渋は刷いた直後は黄色く、乾いて空気に触れて初めて茶が差す。だから一回ごとに半日待つ。乾いたら新竹を一本だけ古い列に置き、框の端まで下がって見る。まだ青い。また刷いて、また半日。四度目で、下がって見ても見つけられなくなった。修理の時間の大半は、この乾かす待ち時間だった。

縁布の金襴を選ぶ。宮司さんが古い裂を一片持ってきた。三つ巴だった。この社では巴が許され、桐は使えない。社紋を取り違えれば、布のほうが社に拒まれる。私は呉服の問屋で三つ巴の金襴を当たり、地の色を古裂に合わせて取り寄せた。紋さえ間違えなければ、布は神社の側の決まりに収まる。色や織りより先に、まず紋を合わせる。それがこの仕事の順序だった。

房を結い直す。古い房をほどくと、より紐が一方向に固まっていた。長年同じ向きに垂れて、撚りがその向きに死んでいる。まっすぐに戻すこともできるが、社の人が見慣れた垂れ方がある。私は撚りの死んだ向きを指で確かめ、その向きへ結い直した。結びは、ほどいて初めて、結んだ人がどちらの手で締めたかが分かる。私はその手の向きを、もう一度なぞっただけだ。

納めの日。御簾を木箱に戻し、社殿へ運んだ。宮司さんは縁の前で箱を受け取り、御簾に向かって軽く頭を下げた。私は作法を知らない。つられて下げかけて、手が箱から離れず、中途半端に止まった。それから差し替えた竹と、結び直した房の向きを説明した。宮司さんは竹のあたりを見て、分からないと言った。納品ではなく、受け渡しの礼だった。私はその礼の外側に立って、ただ箇所を指していた。

御簾は社殿の縁に掛けられた。下から見上げると、差し替えた竹はもう見分けがつかない。逆向きだった結びも、表からは見えない。私が直したと分かるところは、どこにも残らなかった。それでいい。手にはまだ柿渋の匂いが残っていて、帰り道、私は自分の倒す向きで、次の御簾の糸を結ぶことを考えていた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。