ハイバラケイト(43歳・道路標識の施工21年)
道路をまたいで立つ大きな板がある。門のかたちをした柱に、車線ぶんの幅の案内標識を載せたやつだ。F型、門型と呼ぶ。下を車が走っているから、昼には付けられない。付けるのは、いつも夜だ。標識を一枚かけるために、まず警察に通行止めの申請を出し、迂回路の段取りを図面に落とす。動かすのは、板ではなく、街の一晩ぶんの車の流れのほうだ。
夜の路上にクレーンを据える。アウトリガーという脚を四方に張り出して、車体を地面から浮かせ気味に支える。この脚をどこに置くかは、現場の勘ではない。吊る板の重さ、伸ばすブームの角度、そこから出た荷重に、路肩の地耐力が耐えるか。脚の下に敷く鉄板の位置まで、昼のうちに図面で決めてある。一本の脚が二、三センチ沈んでも、宙の板は人の背ほど横へ振れる。だから昼に決めたところへ、夜、寸分たがわず脚を下ろす。
規制が始まると、川のように流れていた光が、上流のコーンの列で堰き止められる。最後のテールランプが消え、無線が「流れ、切れました」と言う。アスファルトが黒く乾いて、急に広く見える。持ち場についた男が、白い息を吐いて、誘導灯を一度だけ回して合図を返す。ここからの数時間が、止めた時間の中身になる。
板を吊り上げる。玉掛けのワイヤーが張り、板が路面を離れる。夜風が板の面を押して、ゆっくり回そうとする。声は届かない。下の合図者が、手のひらを上に向けて指を巻く——巻き上げ。ブームの先がじりっと伸びる。握りこぶしで、止め。板が受けの真下で静止する。手のひらを下にして小さく振る——ゆっくり下ろせ。その手の形だけで、十数メートル上の板が動く。照明車の光が板の縁を白く縁取り、その向こうは闇だ。受けに板が近づく数分間、全員が同じ一点を見ている。
載せたら、本締めにかかる。高所のかごの上で、決められたトルクまで電動レンチを回す。締めすぎても、足りなくてもいけない。ボルト一本ずつに目盛りがあって、数字で締める。風でかごが揺れ、手元のライトが影を躍らせる。それでも数字は、数字どおりに合わせる。締まったボルトに白い合いマークを引く。あとで一本でもずれていれば、線が目で見つかる。朝までに、全部の升目を黒く塗る。
締め終えても、規制はまだ解かない。路面に落ちたボルトの欠片や工具を、ライトで照らして拾う。保安設備を一つずつ畳む。最後に、一台目が通る前の点検をする。合いマークの線が全部そろっているか。路上に何も残っていないか。残っていないと確かめてから、旗を上げる。「たぶん」は、ここでは口にしない。たぶんで旗を振った夜は、一度もない。
規制を解く。コーンを抜くと、待っていた車が、何ごともなかったように流れ込んでくる。朝の通勤の列だ。彼らは昨夜ここで板がかかったことを知らない。頭上の新しい標識を、読みもせず、見もせず、ただ流れていく。合いマークの白い線は、走る車からは見えない。見えなくていい。
軽トラを路肩に寄せて、最後にもう一度、自分のかけた板を見上げた。次にこの板に人の手が触れるのは、何年後だろう。十年か、それ以上か。そのころ、誰かがまた夜に車を止め、迂回路を組み、脚を張る。俺が今夜どこに脚を下ろしたかは、もう図面の中にしか残らない。空が白みはじめ、板の青が、白茶ける前の青のまま光っていた。