濁りの、底(第二稿)
潜水一年目、手に目を作れと言われるまで

ハマオカツバキ(45歳・港湾の潜水士23年)

港の底は、いつも乳色だ。岸壁の下、船が通る水路の底には、泥と砂と、工事で巻き上がった細かいものが漂っている。手を伸ばすと、その手が肘の先で消える。私はそういう水の中で、二十三年働いてきた。

潜るときは、首から下を覆うドライスーツを着て、背中に重りを背負う。ヘルメットからは送気ホースが一本、水面の船まで伸びている。これが私の呼吸だ。だから水中では、石を読む右手と、ホースを背中側にさばく左手が、いつも別々に動いている。構造物の角にホースが引っかかれば、それだけで段取りが狂う。手が二つあるうちの片方は、最後までホースのために空けてある。

二〇〇三年、二十二歳で港湾土木の潜水会社に入った。岸壁の基礎の据付、捨石の均し、水中の点検。陸ならどれも目で確かめられる仕事だ。けれど底では見えない。最初の頃、私はライトを持って潜った。明るくすれば見えると思っていた。光は漂う濁りに当たって白く跳ね返り、目の前が乳色の壁になった。明かりが、かえって私を盲にした。

水面に戻った日、先輩に言われた。「目をつぶって作業しろと言ってるんじゃない。手に目を作れ」。もう一度潜って、ライトを消した。上を向くと、水面が一枚の鈍い銀色に滲んでいて、その下りてくるわずかな明かりだけが残った。色も形もない。私は手袋越しに、捨石に触れた。

割られたばかりの石の角は鋭く、長く水に洗われた石の角は丸い。コンクリートの面はつるりとして、継ぎ目だけ段差がある。ボルトの頭は六角で、緩んでいれば指でわずかに回る。手袋は分厚いゴムだ。それでも何日も触っていると、ゴムの向こうの形が指に届く。捨石の均しは、こうして一つずつ石の高さを手で揃えていく作業だった。私は石の角を、自分の指の節のように覚えた。

船の上とは水中インターホンでつながっている。ヘルメットの中で、上の声がざらついて聞こえる。「深さどれくらいだ」「あと三十分」。たわいない声だが、これが途切れれば独りになる。声と、ホースと、手のひら。私を水の上の世界につないでいるのは、その三本だった。

上がるときには決まりがある。深いところに長くいた体を急に浮かせると、血の中に泡ができて体を壊す。減圧症という。だから決められた深さで止まり、決められた時間を待つ。あの日は水深六メートルで、停止は二十分だった。早く上がりたくても、上がれない。私は深度計の針を六に合わせたまま浮かないよう、片手で岸壁の縁をつかみ、残圧計をのぞき、上に「停止、入りました」と告げた。焦りは規律より弱い。弱くなければ、潜水士は死ぬ。

全部の停止を終えて、ヘルメットが水面を割る。最初に戻るのは音だ。波でも人の声でもなく、船の発電機の、腹に響く低い唸り。それが聞こえると、ああ上がったと体が分かる。光は、曇り空でも底の銀色とは比べものにならない。私は片手のホースを放さないまま、梯子に手をかける。

二十三年で点検した構造物の数は覚えていない。覚えているのは、指のほうだ。あの捨石の角。緩んでいたボルトの、半回転。手袋を外しても、いまだに指の腹が、見えなかったものの形をなぞる。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。