台風後の、点検(第二稿)
海が荒れた翌朝、港の底に下りていく

ハマオカツバキ(45歳・港湾の潜水士23年)

凪いだ朝だった。けれど潜降索を海に下ろすと、索が垂直に落ちない。底で前夜のうねりがまだ残っていて、ロープを斜めに引いている。海の上は静かでも、下はまだ昨日のままだ。台風が抜けた翌朝、陸の人間が片づけを始める頃に、私たちは逆に下りていく。

まず確かめるのは岸壁の足元だ。波が基礎の捨石をさらい、岸壁の下に窪みを作る。洗掘という。私は計測棒を窪みの底に当て、どこまで沈むかを読む。普段なら三十センチで止まる棒が、その朝は腕の付け根まで入った。手応えのないまま、肘が、肩が沈んでいく。棒が止まらないということが、海の夜を語る。それ以上、私は何も思わなかった。次の窪みへ手を伸ばした。

台風のあとの濁りは、桁が違う。普段の濁りは工事で巻き上がった泥だが、その日は山から川を伝って流れ込んだ陸の泥が加わっていた。普段の乳色の視界がゼロだとすれば、台風後はそのゼロが、本当のゼロになる。底の薄明かりさえ届かない。私は手のひらだけの人間になって、下りる。

潜る前、船の上のホワイトボードに見取り図が描かれる。前回にはなかった印が書き足されていく。洗掘が疑われる区画、桟橋の下、流された何かがあるかもしれない場所。班長が言う。「今日は何が沈んでいるか分からん前提でいけ」。海の中が前回と同じだという保証は、台風のあとには一つもない。私はホースをさばく左手の段取りを、いつもより一つ多く決めてから潜った。

桟橋の下に、それはあった。頭の上は床で塞がれ、横は杭が林立している。逃げ場のない場所だ。手が、何かに触れた。握りのゴム、ブレーキのレバー、放射状の細い骨。スポークだ。自転車だと指が決めた。陸を走るものが、なぜここにいる。考える前に、私は手を次へ動かした。底では、来歴を思う手は止まった手だ。止まった手は、ホースのことを忘れる。

同じ桟橋の杭で、防舷材に手を伸ばした。ゴムの表面に裂け目がある。指で縁をなぞると、裂けは縦に走っていた。古い亀裂が口を開いたのではない、縁が硬く立っている、新しい。奥に鉄の芯。錆びてざらついてはいない、剥けたばかりで、つるりと滑った。台風の夜、船がここに横腹を打ちつけたのだ。指が、その一撃を読む。

昼すぎ、自転車がクレーンで吊り上げられ、岸壁に置かれた。私は手袋を外して、近づく。底で指が数えたスポークは、陸の光の下では半分が折れ、残りが泥の中で同じ向きに寝ていた。握りのゴムは、片方だけ無くなっていた。指は握りを二つとも読んでいたのに。手の記憶と、目の事実が、そこで一度ずれて、また合う。私はその差のぶんだけ、海の夜を遅れて知る。

洗掘の窪みに石が入れられ、防舷材が替えられ、港が開いた朝。私は岸壁に立って、最初の入港船を見ていた。汽笛を鳴らし、ゆっくりと水路を入ってくる。その船の下に、私が手で読んだ底がある。船はそれを知らない。知らないまま、通っていく。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。