ハナブササカエ(67歳・桐箪笥の修理職人42年)
桐の面を削り直したあと、最後まで残るのは金具のことだ。取っ手、前飾り、錠前。洗い替えのたびに、磨くか、取り替えるか、施主と決める。磨けば古びた味は消える。取り替えれば形が変わる。同じ形の金具は、もうほとんど作る人がいないからだ。
金具を外すには、裏の釘を抜く。釘を抜いて金具を起こすと、その下から桐の地肌がのぞく。表は飴色だ。手垢と日焼けで、百年かけてそうなった。金具の下だけ、白い。光の当たらなかった、削る前のままの白。表と裏で、桐の色が二つに割れている。私はそこを、布で拭くでも削るでもなく、ただ見る。次の洗い替えで、また誰かが釘を抜くまで、その白はまた百年隠れる。
前飾りは唐草の真鍮だった。汚れと錆を浮かせる薬を綿に含ませ、唐草の地の平らなところを撫でる。三度撫でると、鈍い金色が起きてくる。だが彫りの谷には触れない。谷の黒は、この金具が生きてきた時間で、そこまで光らせると新品の顔になる。綿の先を尖らせて、谷の縁だけ薄く撫で、谷底は黒のまま残す。どこで綿を止めるか。砥の粉のときと同じだと一度は思ったが、違う。砥の粉は家の他の家具に合わせる。金具は、その金具が背負った年に合わせる。合わせる相手が、外と内で逆なのだ。
取り替えるとなると、もう同じ意匠は手に入らない。昔の前飾りは、地元の金具屋が一枚ずつ打っていた。その金具屋が店を畳むとき、在庫を分けてもらった。工房の引き出しに、もう打つ人のいない唐草が、四十二枚眠っている。数えてあるから、四十二枚と言える。一枚使えば四十一枚になる。私が使い切れば、この唐草はこの世から消える。だから取り替えると決めた日は、磨いて済ませた日より、長く手元に置いて、本当に磨きでは無理かを、もう一度確かめる。
錠前の鍵は、たいてい失われている。鍵のない引き出しを、壊さずに開ける。錠前の構造は、見えなくても指で読める。細い金物を鍵穴に差し、閂を押している小さな板ばねを探す。ばねは思ったより硬い。金物を二ミリ送り、ばねの肩に掛け、左へ逃がす。かちりと閂が落ちる。鍵を壊して開けるのは三十秒だが、壊さずに開けるのは、この硬いばね一枚を探すのに、半時かかることもある。
開けても、中身は見ない。隠し箱は隙間の偶然だが、錠前は違う。鍵をかけ、その鍵を失くしてまで、誰かが仕舞ったものだ。半時かけてばねを逃がし、引き出しが開いたら、私は中を見ずに、出てきました、とだけ施主に言う。開けた者が見ないというのは、隠し箱より重い。私が半時かけたぶんだけ、見ない約束も重くなる。
金具を外すと、釘穴が出る。前飾り一枚を留めるのに要る穴は四つだ。だが先の箪笥の前飾りの裏には、十一の穴が開いていた。四で割れば、二回ぶん余る。私を入れて三人が、この一枚を打ち直してきた。穴の位置は少しずつ動いている。最初の四つは深く、まっすぐ。次の四つは右へ寄り、釘の頭が左を向いている。私はいつも釘の頭を右へ向けて打つから、左向きは私ではない。私の前の前の人は、左から打つ人だった。会ったことはない。穴の向きだけ、知っている。
釘は、なるべく古い穴に戻す。新しい穴を増やせば桐が傷む。十一のうち、いちばん深くまっすぐな最初の四つに、私は釘を戻した。頭は私の向き、右へ。次に誰かがこの前飾りを外すとき、深い四つの穴の、いちばん上だけ頭が右を向いているのを見るだろう。十二個目の穴は、開けなかった。