顔剃りの、十五分
客が目を閉じて、刃物を預ける時間

ハナワキョウコ(57歳・理容店二代目)

刈り終えて、椅子をゆっくり倒す。窓の外はやわらかな午後の光で、店のなかには石鹸の匂いが静かに満ちている。客が目を閉じる。ここから顔剃りの十五分が始まる。考えてみれば、これは不思議な時間だと思う。他人に刃物を顔に当てさせて、目を閉じて、身をまかせるのだから。

まず蒸しタオルを巻く。八十度近くで蒸したものを、軽く絞って、鼻だけ出すように顔にかぶせる。タオルが顔に乗った瞬間、客の呼吸が変わるのが分かる。すっと深くなる人は、たいていそのまま眠りに落ちていく。逆に、肩がほんの少し上がる人もいる。熱いタオルで顔をふさがれて、緊張する人だ。同じタオル一枚で、こうも分かれるものかと思う。

タオルを取って、シェービングブラシで泡を立てる。カップのなかでくるくると回して、きめの細かい泡を頬から顎へ、首筋へと塗っていく。このあいだ、私は喋らない。刈っているあいだは世間話の相手もするが、刃物を持ったら口を閉じる。手の集中が、声に持っていかれるのが嫌なのだ。客のほうも、不思議と黙る。顔剃りのあいだだけは、二人とも黙っている。

西洋剃刀を革砥で研ぐ。しゃっ、しゃっ、と返しながら刃を起こしていく。研ぎ終わった刃を頬に当てる。剃るのは頬から始める。広くて平らで、いちばん刃の通りがいいところだ。そこで刃の角度と肌の調子を確かめてから、顎、口のまわり、首筋と、難しいところへ移っていく。順番には理由がある。

剃りながら、顔が見える。刈っているときは後ろから見る頭が、顔剃りでは正面から、近くで見える。疲れは、決まったところに出る。目の下、口の端、眉間。肌の調子もその月ごとに違う。先月つやのあった頬が、今月はかさついていたりする。本人は気づかない。月に一度、近くで顔を見ている私のほうが、先に分かってしまう。

眠ってしまう客がいる。剃刀を首筋に当てているのに、口が半分開いて、寝息を立てている。これほど人に無防備な顔を見せる場所も、そうはないだろう。私は手を止めず、けれどいっそう静かに刃を運ぶ。起こさないように。この人がここで眠れるのは、長い年月の積み重ねがあるからだと思う。

剃り終わると、冷たいタオルで顔を拭く。熱で開いた毛穴を、ひやりと締める。それから椅子を起こす。昇降ポンプを踏み込んで、客の上体をゆっくり立てていく。このとき、客の顔がふっとゆるむ。眠っていた人は目をしばたたかせ、緊張していた人も、肩から力が抜けている。剃りたての顔は、どこか赤ん坊のようだと、いつも思う。

顔剃りは、美容院にはないサービスだ。法律のこともあるが、それだけではないと思う。床屋に顔剃りが残っているのは、人がときどき、刃物を預けて目を閉じる時間を必要とするからではないか。無防備な十五分は、信頼の形なのだ。私はその信頼を、この三十五年、毎月毎月、頬から首筋へと、刃の先で受け取り続けてきたのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。