月一の、頭
父の店を手伝い始めた年、観察者になるまで

ハナワキョウコ(57歳・理容店二代目)

父の店を手伝い始めたのは一九九一年、二十二歳の春だった。それから三十五年、私はずっとこの椅子の後ろに立っている。鋏の音が静かに響いて、客の肩から白い布がふわりと落ちる――そういう朝が、もう何千回もあったように思う。

うちは「いつもの」で注文が成立する店だ。常連は月に一度、判で押したように同じ周期で来る。第三土曜の朝いちばんに来る人は、三十年、第三土曜の朝いちばんに来る。何ミリにするか、もみあげをどうするか、いちいち言わない。「いつもの」。それで全部が伝わる。カルテはない。けれど、手が覚えている。

父はよく、頭は月に一度の日記だ、と言っていた。当時の私には、なんだか味のある言葉だな、くらいにしか聞こえていなかったように思う。蒸しタオルを温める湯気の向こうで、父はいつもそう繰り返していた。

初めて一人で常連の頭を刈ったのは、その年の夏だ。よく来る大工の棟梁で、横と後ろはバリカン、上は鋏で、という人だった。私はアタッチメントを付けて刈り始めた。前の月、父が刈ったときと同じ仕上がりにしなければ、と思うと、手が固くなった。

刈りながら、気づいたことがあった。つむじのまわりの地肌が、前に見たときより、少しだけ広く見える。白いものも、こめかみのあたりに増えている。月に一度しか会わないから、変化が一枚の絵のようにくっきり見えるのだ。毎日鏡を見ている本人より、月一の私のほうが先に気づいてしまう。父の言った日記の意味が、このとき少し分かった気がした。

けれど、言わない。これは父から教わるまでもなく、手が先に覚えた決まりだった。地肌が寂しくなってきましたね、なんて、こちらから言うものではない。訊かれたら、答える。それだけ。私たちは見ているけれど、見ていないふりをするのが仕事なのだと思った。

三十五年もやっていると、月一の周期がふっとずれる人がいる。第三土曜に来なかった。次の月も来ない。そういうずれは、たいてい何かの前触れだった。入院だったり、引っ越しだったり、そのまま二度と来なくなる人もいた。来なくなる前に、周期のほうが先に教えてくれる。世間話の半分は聞き流しても、周期のずれだけは、聞き逃さなかった。

去年、あの棟梁の息子さんが、初めてうちの椅子に座った。父親が来なくなって、しばらく経っていた。布をかけて、後ろに回って、はっとした。つむじの巻き方が、生えぎわの形が、あの棟梁とそっくり同じだったのだ。顔を見るより先に、鋏を持った手が、これは誰々さんの息子だ、と分かってしまった。血は頭にも流れているのだな、と思った。

顔を剃りながら、思った。私はこの三十五年、月に一度ずつ、人の頭という日記を読み続けてきたのだ、と。一人ひとりの加齢を、別れを、代替わりを、椅子の後ろから見てきた。あの夏、初めて一人で刈った棟梁の頭が、私を月一の頭の観察者にしてくれた。今日も椅子の昇降ポンプを踏み込みながら、次の「いつもの」を待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。