刷毛の、毛
人の髪で作られた道具と、三十年つきあう

ハリマセイジ(55歳・塗師33年)

漆刷毛の毛は、人の髪でできている。化繊ではいけない。塗師の仕事は、こういう道具に支えられている。窓から朝の光が静かに差し込む仕事場で、私は今日もまず刷毛を手に取る。

なぜ人の髪なのか。漆は重い塗料で、刷毛に含ませて、面の上で少しずつ離していく。この含んで離す加減が、毛の腰で決まる。化繊の毛は漆を含んだまま放さないか、一度に吐くかのどちらかで、その中間がない。人の髪には、含んだものを惜しむように、少しずつ離す腰がある。なぜそうなのかは、私には説明できない。ただ三十年、化繊で同じことをしようとして、できなかった。

刷毛は、鉛筆のように削って使う。これを知らない人は驚く。毛の根元は、長く木の柄のなかに仕込まれている。表に出ているのはほんの先の数分だけだ。先が使い減って腰が抜けてきたら、その先を切り落とし、柄を小刀で少し削って、内に眠っていた新しい毛を出す。一本の刷毛のなかに、これから出てくる毛が、何年分も詰まっている。

一日の終わりに、刷毛を洗う。これがいちばん大事な日課だと言ってもいい。漆は水では落ちない。油で落とす。菜種の油を含ませて、板の上で押し出すように漆を吐かせ、また油を含ませ、また吐かせる。何度も繰り返して、最後に毛が透き通った艶を取り戻す。この洗い終わりの艶を見れば、明日の調子が分かる。艶が深く落ち着いていれば、明日はいい塗りができる。これは長年の経験から、私が言えることだ。

刷毛には格がある。下ろしたての刷毛、まだ腰の堅い刷毛は、下地に使う。下地は厚く、面も荒いから、多少の癖は塗りつぶされる。そこで毛が馴れ、腰が落ち着いてくると、中塗りに上がる。いちばん枯れて、いちばん素直になった毛だけが、最後に上塗りに使われる。一本の刷毛が、下地から上塗りまで出世していく。そして上塗りで使い切られ、削られ、また下りていく。刷毛にも、出世と引退があるのだ。

その刷毛を作る職人を、刷毛師という。髪を選び、漆で固め、木の柄に仕込む。この仕事をする人が、いま、ずいぶん減った。私が弟子入りした頃には何人かいた名が、いまは一人、二人になった。道具を作る職人がいなくなるというのは、その道具を使う仕事もいずれ細るということだ。事実として、そうなっている。私の手元の刷毛は、もう作れない人の手のものが、何本かある。

新しい刷毛を下ろすときは、作法がある。いきなり上塗りには使わない。まず削って毛を出し、下地から下ろす。荒い仕事で毛の癖を取り、漆に馴らす。何月か下地で使って、毛がこちらの手に従うようになってから、ようやく上塗りに上げる。人を育てるのと、よく似ている。最初から細かい仕事は任せない。

洗い終えた刷毛を、私はいつも軽く撫でて棚に伏せる。漆を含んで離してくれたこの毛に、感謝の気持ちが湧いてくる。道具に支えられて、私の三十三年があった。

髪は、もとは誰かの頭にあったものだ。それが刷毛になり、漆を運び、削られて短くなり、やがて柄だけになって終わる。道具を作る人がいて、その道具を使う私の仕事があるのだ。刷毛の毛の一本一本に、私は今日も助けられている。そう思いながら、明日も私は塗っては研ぎ、塗っては研ぐのだろう。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。