ハシモトケンジ(59歳・市営バス運転手36年)
市営バスの運転手を三十六年やっている。一日に何百回、同じ言葉を繰り返してきたか、もう数えられない。「次、停まります」「お降りの方はお早めに」「ご乗車ありがとうございました」。これらは私の言葉ではない。会社が決めた定型句で、誰が運転しても同じことを言う。私の口から出ているのに、私のものではない言葉。三十六年、私はそれを言い続けてきた。
入社したのは平成二年、二十三歳のときだった。最初の一年は緊張の連続で、運賃箱に小銭を落とす音、両替機がガチャンと釣りを吐き出す音、降車ボタンが押されてピンポンと鳴る音、そのすべてに体が反応した。アナウンスも、最初はマイクを握る手が汗ばんだ。定型句をひとつ言い間違えるたびに、自分が運転手としてまだ半人前なのだと思い知らされる、そんな日々だったと思う。
二年目の冬のことだ。あの夜は雪がしんしんと降っていて、街灯の光が白くにじんでいた。私は最終便を担当していた。終点に近づくにつれ、乗客はひとり、またひとりと降りていく。降車ボタンの赤いランプが灯り、ピンポンと鳴り、扉が開いて、また閉まる。その繰り返しのあいだに、車内はだんだんと静かになっていった。
終点のロータリーに着いたとき、車内には誰もいなくなっていた。最後のひとりは、ひとつ手前の停留所で降りていた。私はそれに気づかないまま、いつもの癖で、マイクのスイッチを入れた。そして言ったのだ。「ご乗車ありがとうございました」。誰もいない車内に、私の声だけが響いた。
言ってしまってから、私は固まった。この言葉は、いったい誰に向かって言ったのだろう。車内には誰もいない。聞く者はいない。それでも私の口は、三十六年分の最初のほうの、まだ百回目くらいの「ご乗車ありがとうございました」を、無人の空間に向けて吐き出していた。雪の音すら聞こえそうな静けさの中で、その言葉だけが宙に浮いて、行き場をなくしていた。
私はマイクのスイッチを切った。それから、決められた手順をこなした。回送表示への切り替え。点呼の準備。車内の忘れ物点検。座席のあいだを歩いていくと、いちばん後ろの席に、傘が一本、忘れられていた。透明のビニール傘で、骨が一本曲がっていた。さっき降りたあの人のものだろうか。私はその傘を拾い、運転席の脇に立てかけた。
その夜から、私の中で何かが変わった。それまで私は、定型句をただ口にする側の人間だった。けれどあの夜以来、私はその言葉を「観察する側」になった。「ご乗車ありがとうございました」は、本当に乗客に向けて言われているのか。それとも、運転手が一日の終わりに自分自身へ言い聞かせる、ある種のまじないなのか。私はミラー越しに乗客を見ながら、自分の口から出ていく定型句を、まるで他人の言葉のように聞くようになった。
三十六年のあいだに、車内アナウンスは録音の自動放送に変わった。いまでは「次、停まります」も機械が言う。けれど終点の「ご乗車ありがとうございました」だけは、いまも運転手が肉声で言う会社が多い。私は思う。あの定型句は、聞く人がいてもいなくても、言われなければならない言葉なのだと。誰もいない車内に向けて言ったあの夜の一言が、私をいまの私にしてくれたのかもしれない。回送表示に切り替わったバスは、今夜も静かに車庫へ帰っていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。