客席の後ろの、小さな窓(第二稿)
初めて一人で回した夜、後頭部の観察者になった

ハットリジン(39歳・映画館映写技師17年)

映写室は客席の後ろの壁の中にある。場内からは見えない。壁の高いところに横長のガラス窓が二つ空いていて、そこから光が出ていく。十七年、私はその窓の内側に立ってきた。映画館で、たぶん唯一、映画を裏から見る人間として。お客さんは誰も振り返らない。スクリーンを向いて座り、二時間、こちらに背中を見せている。

初めて一人で回したのは二〇〇九年の夜だ。見習いを終えて、その晩から私一人だった。フィルムの時代の、ほとんど最後のころ。三十五ミリのリールが一本二十分、終わりが近づくと画面の右上に丸い印が二度光る。一度目でモーターを起こし、二度目でレバーを倒して隣の映写機に渡す。倒すのが半拍遅れれば、場内が一瞬だけ暗く落ちる。その暗転は、客より先に、窓の内側にいる私の腹に来る。

その夜の三本目、母親が駅で息子を見送る場面だった。「行ってきます」と息子が背を向ける、その一拍あとに、私は奇妙なものを上から見た。客席の後頭部が、同じ一秒に動いたのだ。前から見れば、それぞれの顔の話だっただろう。だがうしろからは、顔は見えない。見えるのは、頭がわずかに前へ傾くこと、肩が一段沈むこと、髪に手がかかってできる小さな影、背もたれから背中が浮くこと。ばらばらの他人の、後頭部だけが、同じところで一つの波になった。

誰も振り返らなかった。当たり前だ、映画を観ているのだから。その波を見たのは私だけだった。スクリーンの像と、それに動く後頭部の群れと、両方を一度に見られるのは、この窓の内側だけにある角度だ。あの夜、私は映画を回す人から、後頭部を見る人になった。手は二本目から三本目への切り替えを正しく終えていたが、私のほうの切り替えは、たぶんその一秒に起きていた。

エンドロールで場内灯をいつ上げるかも、映写室が決める。早ければ余韻を壊し、遅ければ客が暗がりで立つ。私は窓から後頭部を見て、最初の一つが立ち上がる気配の手前で、絞りを少しだけ戻す。波が引きはじめる呼吸を、上から計っている。

いまはフィルムを回さない。DCPだ。データはサーバーにあり、再生には期限つきの暗号鍵が要る。KDMという。去年の暮れ、配給の手違いで鍵の期限が一日ずれていて、満席の回の直前に再生が通らなかった。私はそのとき、手が動かないことに気づいた。フィルムなら巻き直す腕があった。鍵には、巻き直す腕がない。問い合わせの電話をかけながら、自分の両手が宙に浮いているのを見ていた。

それでも窓は同じ場所にある。ガラスの内側に立てば、いまもスクリーンと後頭部が一度に見える。データが流れているあいだ、私はやはり背中の向こうを見ている。光量もピントも機械が合わせる。掛け替えの合図はもう光らない。けれど波がどこで動くかは、いまも私が、うしろから見ている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。