色落ちの、年
海の栄養が足りなかった冬の記録

ヘグリシオン(36歳・海苔漁師14年)

海苔は海の畑で育てる。畑なら土の善し悪しを手で確かめられるが、海の善し悪しは色でしか分からない。今年の冬、私は沖でその色が褪せていくのを見た。自然の前で、人間にできることは少ない。それでも見続けるしかないのが、この仕事なのだろう。

最初に気づいたのは十二月の摘採の朝だった。船の上から沖の網を見ると、いつもの紫がかった黒が、列の先のほうだけ茶に褪せていた。摘んだ葉を手のひらに広げると、艶がなく、指でつまむとちぎれた。父が手のひらに広げて見せた、あの薄さだ。海苔が痩せている。色落ちが始まっていた。

原因は一つではない。秋からの雨が少なく、川の水量が落ちていた。川が運ぶ森の養分が減れば、海の窒素やリンが足りなくなる。栄養塩の数字を漁協が測っていて、溶存無機窒素がいつもの冬より低いと聞いた。おまけにその年は赤潮を作るプランクトンが先に栄養を食べていた。雨と川と微生物。複合的な要因が重なった結果だったのだと思う。

暮れに漁協の会議があった。色落ちの海苔を摘み続けるか、いったん止めるか。摘めば船の燃料代と人手がかかり、それで下の等級にしかならなければ赤字になる。止めれば網に残った海苔が伸びすぎて、回復したときに使えなくなる。組合長は数字の表を回し、皆で黙って見た。摘採を続ける家、止める家、判断は分かれた。海を相手に正解はないのだと、つくづく感じた。

会議の後半は、陸への要望の話になった。上流のダムが冬に水を溜め込むと、川から海への栄養が細る。下水処理場が窒素を取り除きすぎると、海の栄養まで足りなくなる。だから冬のあいだは放流を増やしてほしい、処理を緩める管理運転をしてほしい――そういう要望書を県に出す段取りを決めた。海と川と陸は一つにつながっている。私はそのつながりの重さを、改めて噛みしめた。

色落ちの年は、収入がおよそ半分になる。等級が下がれば一帖の値が桁で落ちるからだ。私は漁業共済の支払いの書類を出し、足りない分は借入で埋めた。共済の掛金は毎年それなりに重いが、こういう年に効く。通帳の数字を見て、海苔屋は色を売っているという父の言葉が、家計の話でもあることを改めて思い知らされた。それでも家族は食べていかねばならない。

翌年への備えも、この冬のうちに決めた。栄養の落ちにくい少し沖の漁場に網を移すこと。冷凍網の出す枚数を減らして、無理に広げないこと。父と二人、海図を広げて柱の位置を引き直した。海は来年も同じとは限らない。けれど備えだけはできる。それが先祖代々受け継いできた、この家の知恵なのだと思う。

色落ちの年でも、朝の手順は変わらない。夜明け前に起き、長靴を履き、船を出し、沖の網の色を見る。茶に褪せていても、私は網の下をくぐって海苔を刈る。痩せた海苔でも、海が育てたものだ。色が褪せても、海に出るのをやめるわけにはいかない。それでも海に出るのが、漁師というものなのだ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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