ヘグリシオン(36歳・海苔漁師14年)
海苔は、海の畑で育てる。陸の畑と違うのは、種を蒔いても、芽が出る場所が見えないことだ。沖に張った網の中で、目に見えないほど小さな胞子が、自分の力で育っていく。海と共に生きるとは、こういうことなのだろう。私はその網を、もう十四年見ている。
家は祖父の代からの海苔屋で、私は三代目になる。二〇一二年、二十二歳の秋に、父の船に乗るようになった。秋の仕事は種付けから始まる。カキ殻の中で夏を越した胞子が、水温が下がると殻から泳ぎ出す。その瞬間に網を入れて、胞子を網の糸に付かせる。殻から海苔が生まれるというのは、初めて聞いたとき、本当に不思議な話だと思った。
付いた網は、すぐには沖に出さない。少し育ててから、一度冷凍庫に入れる。冷凍網という。海苔の芽を凍らせて眠らせ、海の状態がよくなったときに出し直す。最初に教わったとき、生き物を凍らせて後で起こすなんて、と驚いた。これは昔の海苔農家が考え出した工夫だそうだ。海が荒れた年も、病気が出た年も、冷凍庫の中に予備の芽が眠っている。海と闘うのではなく、海の機嫌に合わせる。そういう知恵なのだと思う。
摘採は、夜明け前の沖で行う。摘採船という、海苔を摘む専用の船で、網の下をくぐるように進みながら、伸びた海苔を刈り取っていく。空がまだ暗いうちに沖へ出て、東の空が白むころには船倉が黒く光る海苔で満ちている。冷たい潮風の中で、私は祖父も父も見てきたであろう同じ夜明けを見ているのだと、しみじみ思ったものだった。
家業に入って間もないころ、父に船の上で言われた。「網の色を見ろ。黒すぎても薄すぎてもだめだ。海苔の色は海の体調だ」。私はそのとき、色なんてどれも同じ黒に見えていた。父は沖の網を指さして、あの列とこの列で色が違うだろう、と言った。言われてようやく、薄い茶色がかった網と、艶のある濃い網があるのが分かった。
色の正体は、海の栄養だった。窒素やリンといった栄養塩が海に多いと、海苔は濃く育つ。少ないと色が抜けて、薄い茶色になる。色落ち、という。私が家業に入って数年したころ、ひどい色落ちの年があった。沖の網が一面、赤茶けて見えた。父は網の前で長いこと黙っていた。海の中で、何かが足りなくなっているのだ、と私にも分かった。
うちの漁場には支柱式と浮き流し式の二種類がある。支柱式は浅い海に柱を立てて網を張り、潮が引くと海苔が空気にさらされる。浮き流し式は深い沖に網を浮かべる。加工場では、摘んだ海苔を洗って刻んで漉き、乾かして乾海苔にする。これが入札にかけられ、色、艶、香りで等級が決まる。同じ一帖でも、上の等級と下の等級では値が桁で違う。色が、そのまま値になる世界だ。
色落ちの年、父は珍しく、山の話をした。海苔を育てる栄養は、もとをたどれば山から来る。川が森の養分を運び、海に注ぐ。だから森が荒れると海苔も痩せる、と。私は川の上流の、古い水門を見に行った。山と海は川でつながっている――そう言葉にすると簡単だが、赤茶けた網を前にすると、それは標語ではなく、目の前で起きている一つの出来事だった。
あれから十四年、私はずっと網の色を見る人間になった。毎朝、沖の網の色で海の体調を読む。黒すぎないか、薄すぎないか。海苔の色は海の体調だという父の言葉が、私をいまの私にしてくれた。今日も夜明け前に船を出し、網の色を確かめる。海と共に生きるとは、結局、海の色を見続けることなのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。