緞帳の、上げ下げ(第二稿)
舞台係一年目、袖の暗がりで拍手を聞くまで

ヒビノカオル(38歳・市民会館の舞台係16年)

市民会館の舞台に立つ人の大半は、人生で一度だけそこに立つ。ピアノ発表会の子ども、市の表彰式の来賓、カラオケ大会の常連。プロの劇場と違って、ここに二度目はめったにない。私はその一度を、客席ではなく袖から見てきた。

緞帳の操作盤には、速度のレバーに一から五まで段が刻んである。一が一番遅い。二〇一〇年の春、私は初めて一人で緞帳を任された。それまでは先輩の横で見ているだけだった。手元灯の緑がかった光だけが盤面を照らしていて、レバーの戻りは、思っていたより固かった。

その横で先輩が言った。「緞帳は速さじゃない。降りきる瞬間を見ろ」。私はその場ではわからなかった。速く下ろせば仕事は終わると思っていた。けれど先輩は、緞帳が床に着く最後の十センチを見ていた。三で下ろして、最後だけ一に落とす。床に当たる音を、客席に聞かせないために。

最初の本番は、午前のピアノ発表会だった。袖の足元灯のそばで、次に弾く女の子の足が見えた。革靴の先が、小刻みに動いていた。リハーサルで私はバミリのテープにグランドのキャスターを合わせ、椅子の高さを彼女の背に合わせて回した。同じことを本番でもやった。違ったのは、客席の息づかいが袖まで届くことだった。

午後は市の表彰式だった。来賓席の年配の男性が、自分の名が呼ばれるのを待っていた。手元の紙を見て、ネクタイに触れて、また紙を見た。それを三度くり返した。私はそれを、袖から見ていた。

夕方のカラオケ大会では、常連のおじさんが出番前に咳払いをひとつして、出ていった。反響板を立てた舞台で、その声はよく通った。拍手が起きた。客席で聞く拍手と、袖で聞く拍手は違う。袖の拍手は、出ていった人の背中の向こうから来る。顔は見えない。背中だけが、明るい。

その日の最後、私は緞帳を下ろした。三で下ろし、最後の十センチで一に落とした。緞帳は、音を立てずに床に着いた。先輩は何も言わず、削りかけの鉛筆で進行表に何か書き込んでいた。降りきる瞬間を見るというのは、出ていった人の一度を、最後の十センチまで見届けることだった。

十六年で何度レバーを倒したか、数えていない。覚えているのは、降りきる瞬間のほうだ。震えていた革靴の先。三度ネクタイに触れた手。背中の向こうの拍手。一に落とす、最後の十センチ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。