式典の、進行表(第二稿)
守られなかった「五分」と、余った名札一枚

ヒビノカオル(38歳・市民会館の舞台係16年)

式典の進行表は、操作盤の脇にテープで留める。テープは右下の角を斜めに半分だけ貼る。本番中、片手で一気にはがして次の紙に替えられるように。発表会の進行表は「演目」と「およその分」でできているが、式典のそれは分刻みだ。「九時五八分 国旗・市旗掲揚」「一〇時〇〇分 開式の辞」「一〇時〇二分 市長式辞」。秒の手前まで割ってある。私はその行を、手元灯の緑がかった光の下で、指で一本ずつ追っていく。

その分刻みが守られたことは、十六年で一度もない。押すのは、たいてい来賓の挨拶だ。進行表に「五分」と書いてあって、五分で終わった来賓を私は知らない。マイクの前に立った話は、必ず延びる。私は袖で、鉛筆を持つ。延びた分だけ、後ろの行の時刻に斜線を引き、横に新しい時刻を書く。「一〇時〇二分」が「〇五分」になり、「〇五分」が「〇九分」になる。本番が終わるころには、刷られた時刻のほとんどに斜線が引かれ、紙は私の手書きで塗り替わっている。

席次は政治だ。本番の十分前、事務局の人間が新しい席次表を一枚、操作盤まで持ってくる。私はめくり台の名札を、その順に差し替える。一枚を抜き、一枚を二つ後ろへ移す。最後に、抜いた一枚が手元に余る。「××会会長」と刷られた名札が、台の脇に、行き場なく一枚残る。その人がなぜ今年は呼ばれなかったのか、私は知らない。知らなくていい。私はその一枚を、進行表の裏に伏せて置く。本番が終わるまで、それはそこにある。

前日、私は二本の旗を畳む。国旗が先だ。白手袋で四隅を持ち、赤い丸を内に入れて縦に二つ折りにする。次に長辺を、端から斜めに三角へ折り込んでいく。一折りごとに手のひらで押さえ、空気を抜く。最後は手のひらに乗る三角になる。それを胸の前で両手に受けると、布だけのはずなのに、思っていたより重い。市旗も同じ手順で畳み、国旗の隣に並べて置く。掲揚のとき、向かって左の上手に来るのが国旗、その次が市旗だ。

演台にも決まりがある。マイクの高さは、登壇する人の背に合わせて前もって決めておく。水の入ったコップは演台の右奥、手は届くが客席からは見えない位置に置く。表彰式では、表彰状を載せた盆の持ち方をリハーサルする。盆は胸の高さで水平に、両手で。受け取る側の動線、渡す側の半歩。一連の動作を、本番の前に何度も繰り返す。客席に決まりは見えない。見えないことが、こちらの仕事だ。

成人式の袖からは、新成人の足元がよく見える。壇上に上がる短い階段の手前で、彼らは慣れない靴を脱ぐ。真新しい革靴やぽっくりを脱いで、その横にそろえて置き、履き慣れたスニーカーで段を上がる。下りてきて、また階段の手前で履き替える。脱いだスニーカーが、段の脇に左右そろえて置かれている、その一瞬だけを私は袖から見ている。

追悼式の黙祷の一分間、舞台係がすることは、何もない。正確に言えば、何もしないことが仕事だ。黙祷の始まりと終わりに、ブザーを一度ずつ押す。その合間の一分間、私は操作盤の前で動かずにいる。手元灯のスイッチに指を置いたまま、それも切らない。物音を立てないことだけが、この一分間の務めだ。ホール全体が止まっている。その静けさを守るために、私は息を浅くする。

式典の拍手は、発表会の拍手と音が違う。発表会の拍手はばらばらで、長く、温かい。式典の拍手は、揃っていて、短い。始まりも終わりも、申し合わせたように一斉だ。私は袖でその音を聞く。揃っていて、短い。

十六年で何度ブザーを押したか、数えていない。覚えているのは、斜線だらけになった進行表。台の脇に余った名札一枚。手のひらに乗る三角の、思っていたより重い旗。階段の手前にそろえて置かれたスニーカー。黙祷の一分間の、自分の浅い息。揃っていて、短い拍手。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。