遮断かんの、夜(第二稿)
入社一年目、当たり前を作る側に回った夜のこと

ヒエダマコト(41歳・踏切設備の保守19年)

踏切の竿を、現場では「遮断かん」と呼ぶ。下りる速さも上がる速さも、根元のモーターと重りで決まる。竿を一本替えたら、重りを掛け直して下りる時間を計り直す。そこまでやって、ひとつの竿だ。十九年、その手順の中で働いてきた。

二〇〇七年の春、二十二歳で信号通信の保守会社に入った。配属の初日、先輩に連れられて終電後の現場に出た。先輩は遮断かんを手で握り、ゆっくり押し下げて、止まる位置を確かめながら言った。「踏切は落ちて当たり前、鳴って当たり前と思われてる。当たり前を作るのが俺らだ」。私はその晩、寮で先輩の手の角度を何度も思い返した。握る位置が、私の握り方より十センチ根元に近かった。

その夜の作業は、動作試験だった。遮断かんが鳴動開始から下り切るまで、規定は十五秒前後。私はストップウォッチを押し、竿の先が水平になる瞬間に止める。警報機は線路際で八十五デシベルが下限、音量計を踏切から一メートルの位置に置いて読む。検知装置は、列車が定めた地点を通過した時刻と、警報が鳴り出した時刻の差を見る。一つひとつ、数字が規定の枠に入っているかを確かめる。終われば、何も起きていないように見える。何も起きないようにするのが、仕事だった。

遮断かんは、よく折れる。たいていは車だ。下りた竿に突っ込んで、根元から折れる。折損は夜中の呼び出しの定番だった。電話で起こされ、工具を積んで向かう。新しい竿は、前のと重さが違う。だから竿を据えただけでは終わらない。根元の重りを足したり外したりして、下りる時間をまた十五秒前後に合わせる。ストップウォッチを片手に、暗い踏切で何度も竿を上げ下げした。始発までに、規定の枠へ戻しておく。それが折損対応だった。

難しいのは、障害物検知装置の調整だった。踏切の中に取り残された車を見つけて運転士に知らせる装置だ。感度は制御箱の設定値で決める。上げすぎると、風で飛んできた段ボール一枚で列車を止める。下げすぎると、軽自動車を見落とす。私はその設定値を、現場で一目盛りずつ動かしては、台車を踏切内に置いて反応を確かめ、また動かした。誤作動と不作動の隙間に、その日の正解の目盛りがある。手探りという言葉は使いたくない。指は数字を覚えている。

開かずの踏切、というものがある。朝夕、何分待っても竿が上がらない。苦情は届く。けれど装置は壊れていない。列車が次々と来るから、約束どおり下りているだけだ。安全のために閉じているのに、邪魔だと言われる。私はその苦情の電話を、点検記録の余白に書き写しながら、竿は正しく下りています、とだけ思っていた。

雷雨の晩、何ヶ所もの踏切から異常の信号が一斉に上がった。架線が光るたびに、別の現場の表示灯が点く。一晩で五ヶ所を回った。雪の朝は、検知のレールに噛んだ雪を、手で掻き出す。自然が相手のときだけは、計器ではなく体で直す。あの晩の、濡れた工具箱の冷たさは、いまも指が覚えている。

立体交差化で、ある踏切が廃止になった日。最後の列車が通ったあと、私は自分の手で遮断かんを外した。竿が、最後に一度だけ下りて、止まる位置で止まった。重りも、モーターも、私が十九年合わせてきた数字どおりに、きちんと動いた。そして、二度と上がらなかった。外した竿は思ったより重く、両手で抱えて運んだ。直した字を、いや、直した踏切を、私はいくつ覚えているだろう。覚えているのは、最後に外した、この一本の重さのほうだ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。