ヒエダマコト(41歳・踏切設備の保守19年)
踏切の設備を守る仕事を十九年続けている。遮断機、警報機、それに列車が来たことを線路の上で感じ取る検知の装置。みなさんが渡るときに、当たり前のように竿が下りて、当たり前のように鐘が鳴る。あの当たり前を、終電が行ったあとの誰もいない時間に、私たちは作っている。
踏切の竿を、現場では「遮断かん」と呼ぶ。漢字で書けば遮断桿。竿という字でもいいのだが、現場の書類はみんなこの「かん」で通している。下りるときの速さも、上がるときの速さも、根元のモーターと重りで決まっていて、一本ごとに少しずつ癖がある。長く触っていると、下りる音だけで、ああこの踏切だな、と分かるようになる気がする。
二〇〇七年、二十二歳で信号通信の保守会社に入った。配属の初日、先輩に連れられて夜の現場に出た。終電が過ぎると、踏切は別の顔になる。昼間はあれほど人と車を裁いていた装置が、急に静かになって、街灯の下でただ立っている。先輩はその静けさの中で、遮断かんを手で押し下げながら言った。「踏切は落ちて当たり前、鳴って当たり前と思われてる。当たり前を作るのが俺らだ」。私はその言葉を、たぶん一生忘れないのだと思う。
その夜やったのは、動作試験というものだった。遮断かんが規定の時間で下り切るか。警報機の音が決められた大きさで鳴っているか。線路の検知装置が、列車を正しいタイミングで捉えるか。音量計を線路際に置いて、数字を読む。一つひとつは地味で、終わってみれば何も起きていないように見える。何も起きないようにするのが、私たちの仕事なのだった。
遮断かんは、よく折れる。たいていは車だ。下りた竿に気づかず、あるいは間に合うと思って突っ込んで、根元から、あるいは途中から、ぽっきりと折れる。折れた竿の交換は、夜中の呼び出しの定番だった。電話で起こされ、工具箱を積んで現場に向かう。割れた竿の破片が散らばる踏切で、ヘッドライトを点けて、新しい竿を据え付ける。始発までに直さなければならない。当たり前を、朝までに元へ戻しておかなければならなかった。
いちばん難しいのは、障害物検知装置の調整かもしれない。踏切の中に取り残された車を見つけて、運転士に知らせる装置だ。感度を上げすぎると、風で飛んできた段ボールにも反応して、列車を止めてしまう。下げすぎると、肝心の車を見落とす。誤作動と不作動の、その細い隙間のどこかに、正解の目盛りがあるのだろうと思う。私たちはその目盛りを、いつも手探りで探していた。
開かずの踏切、というものがある。朝夕、何分待っても竿が上がらない。苦情はたくさん届く。けれど私たちは知っている。あれは装置が壊れているのではなく、列車が次々と来ているから、約束どおり下りているのだ。安全のために閉じているのに、邪魔だと言われる。守るほど疎まれる装置のそばで、私はいつも少しだけ複雑な気持ちになったのかもしれない。
季節も敵だった。雪の朝は検知装置のレールに雪が噛んで、雷の夜は架線や信号が一斉におかしくなる。雷雨の晩、何ヶ所もの踏切から異常の信号が上がって、一晩中現場を回ったことがある。空が光るたびに、どこかの装置が私たちを呼んでいるような気がした。自然の前で、人の作った当たり前はこんなにも脆い。
あれから十九年。立体交差化で、ある踏切が廃止になった日のことを覚えている。最後の列車が通り、私たちは自分の手で遮断かんを外し、警報機を下ろした。竿が、最後に一度だけ下りて、もう二度と上がらなかった。誰も渡らなくなった線路の跡に、私はしばらく立っていた。当たり前を作り、当たり前を看取る。それが私の仕事だったのだ。あの夜の先輩の言葉が、踏切の番人だった十九年が、当たり前を見つめる目を、私にくれたのだと思う。今夜もどこかで、誰かが渡った数十秒の安全を、誰かが守っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。