廃止の、踏切(第二稿)
役目を終える設備を、自分の手で外した夜のこと

ヒエダマコト(41歳・踏切設備の保守19年)

立体交差化が完成して、ひとつの踏切が廃止になった。十九年、私が点検してきた踏切だ。竿の下り時間を十五秒前後に合わせ、警報機の音量を線路際で八十五デシベル以上に保ち、検知の感度を一目盛りずつ詰めてきた。その同じ手で、今度はそれを外す。撤去は、最終列車のあとの夜と決まった。

廃止の前の日、踏切のそばに人が集まっていた。角で商店をやっているおばあさんが、竿のほうへ向かって頭を下げて、「長い間お世話になりました」と言った。竿は、いつもと同じ十五秒で下りて、止まる位置で止まった。私は点検記録の余白に、その日の時刻と、最終列車の番号を書いた。

その夜、警報機の取り付けボルトに、ラチェットを掛けた。十九年、このボルトは緩んでいないかを確かめる側のものだった。今夜は、緩めるために回す。締め付けの規定は決まっている。緩めるのに規定はない。同じ工具が、同じボルトを、逆の向きに送っていく。手が覚えているのは締める向きのほうで、私は何度か、無意識に締め直しそうになった。

外した機器は、ブルーシートの上で二つの箱に分ける。遮断機の制御基板は、絶縁抵抗を測って規定のメグオームを上回っていたので、再用の箱へ入れた。ほかの現場の保守部品として、また踏切に戻る。警報機の灯器は、点灯回数が寿命の八割を越えていたので、廃棄の箱へ入れた。屋外で十九年浴びた配線も、被覆が硬くなっていて、廃棄。再用と廃棄を分けるのは、私の感傷ではなく、計器の出した数字だった。基板の一枚を再用の箱に置くとき、それがどの現場へ行くのかを、少しだけ考えた。

夜が更けて、支柱を根元から切り離した。柱が地面を離れたあと、コンクリートの基礎に、ボルトの跡が四つ、丸く残った。錆びた水が滲んで、その四つだけ色が濃い。十九年、柱はこの四点で立っていた。私は基礎をならす前に、その四つの穴に指を入れて、深さを確かめた。理由はない。確かめてから、モルタルで埋めた。

後日、跡地は舗装された。レールを抜いた帯に、まわりと同じアスファルトが流し込まれる。新しい舗装は、まわりより色が濃い。継ぎ目の線が、かつてレールのあった幅だけ、二本走っている。そこに線路があったと読めるのは、その幅を知っている人間だけだ。半年もすれば、色は焼けて馴染む。継ぎ目だけが、しばらく残る。

町は静かになった。朝夕、十分以上も上がらなかった竿が消えて、車は止まらずに抜けていく。そのかわり、踏切が鳴っていたころには聞こえなかった音が、聞こえるようになった。隣の家の風鈴だ。カンカンという音があった場所に、いまはチリン、という音が入っている。便利になった、と近所の人は言う。私は風鈴の音のほうを、点検の帰りに一度だけ立ち止まって聞いた。

保守台帳の、その踏切のページの最後の欄に、「廃止」の判子を押した。朱肉が、白い紙に四つ角まできれいに乗った。十九年分の点検記録の、いちばん下に、赤い二文字。撤去から数か月後、私は仕事の帰りに、その道を通った。車が一台、止まらずに通り過ぎた。継ぎ目の二本線が、まだ、まわりより少し濃いまま残っていた。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。