ヒエダマコト(41歳・踏切設備の保守19年)
消えていくものには、どこか胸を締めつけるものがある。立体交差化の工事が完成して、ひとつの踏切が役目を終える。長いあいだ街の暮らしを支えてきた踏切が、静かにその歴史を閉じる日が来たのだ。私はその最後を、見届ける側に立っていた。
廃止の前の日、近所の人が何人か、踏切のそばに集まっていた。長く商店をやっているおばあさんが、竿のほうへ向かって小さく頭を下げて、「長い間お世話になりました」と言った。毎朝この踏切を渡って学校へ行くのだという子どもたちも、いつもより長く立ち止まっていたように思う。人は、当たり前にあったものが消えるとき、はじめてそれが在ったことに気づくのかもしれない。
撤去は、終電後の夜に始まった。私は十九年、この踏切を点検してきた。遮断かんの下りる速さ、警報機の音量、検知装置の感度。そのひとつひとつを、自分の手で合わせ続けてきた設備だ。その同じ手で、今度は外していく。スパナとラチェットを工具箱から出して、警報機の取り付けボルトに掛けた。締めるためにあった工具で、今夜は緩める。手が、いつもと逆の向きに動くのを、私はどこか不思議な気持ちで眺めていた。
外した機器は、ブルーシートの上に並べて仕分けていく。遮断機のモーターと制御基板は、まだ使える。ほかの現場の保守部品として、倉庫へ送られて第二の人生を生きる。警報機の灯器も、点検で問題がなければ再利用にまわす。いっぽうで、長年屋外で雨風に晒された配線や、規格の古くなった部品は、廃棄の箱へ入れる。使えるものと、使えないもの。仕分けの基準は、台帳の数字が決めてくれる。けれど手は、どちらの箱に入れるときも、同じ重さでそれを持っていた。
夜が更けて、遮断かんを支えていた支柱を、根元から切り離した。十九年、雨の日も雪の日もそこに立っていた柱だ。それが地面から離れる瞬間、ぽっかりと、踏切のあった景色に穴があいたように見えた。柱の抜けたあとのコンクリートの基礎には、ボルトの跡が四つ、丸く残っていた。その四つの穴を、私はしばらく見ていた。
後日、跡地は舗装された。レールは撤去され、踏切のあった場所には、まわりと同じアスファルトが流し込まれた。新しい舗装は、まわりより少しだけ色が濃い。そこにかつて線路があったことを知っているのは、もう、その色の違いを知っている人間だけだ。やがてそれも、日に焼けて馴染んでいくのだろう。痕跡というものは、こうして静かに消えていくものなのかもしれない。
町は変わった。朝夕、何分も上がらなかった開かずの踏切が消えて、車はすいすいと通っていく。近所の人たちは、便利になったと口々に言う。それはきっと、いいことなのだ。ただ、ひとつだけ気づいたことがある。あの一帯から、警報機の音が消えた。カンカンという、あの音が。誰も口にはしないけれど、町は少しだけ静かになった。その静けさを、私は感傷とは呼ばないでおこうと思った。
保守台帳の、その踏切のページをめくる。十九年分の点検記録の、いちばん最後の欄に、「廃止」の判子を押した。朱肉の赤が、白い紙にくっきりと残る。事務手続きとしては、ただそれだけのことだ。判子ひとつで、ひとつの踏切が、書類の上から消えていく。私はその赤い文字を、少しのあいだ見つめていた。
撤去から数か月後、私は仕事の帰りに、わざとその道を通ってみた。そこはもう、何の変哲もない、ただの道路だった。車が一台、何事もなく通り過ぎていく。踏切があったことを、その車は知らない。けれど、私は知っている。当たり前を作り、当たり前を守り、そして当たり前の最後を見届ける。踏切の一生を見届けるのが、俺の仕事なのだ。役目を終えた踏切に、私は心の中で、お疲れさまと声をかけた。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。