雷の、夜勤
夏の夜、空と踏切のあいだで起きていること

ヒエダマコト(41歳・踏切設備の保守19年)

夏が来ると、私たちの仕事は空と向き合うことになる。雷である。人は雷を、夜空を裂く一瞬の光景としてしか見ないかもしれない。けれど踏切設備を守る私たちにとって、雷は毎年訪れる、手強い相手なのだ。自然の脅威と向き合う夜が、また始まる。

雷は、金属が好きだ。そして線路ほど長い金属はそうそうない。何キロも続く二本のレール、架線、信号ケーブル——それらは雷にとって、格好の通り道になる。直撃しなくてもいい。近くに落ちただけで、その電気が線路や配線に飛び移ってくる。これを誘導雷と呼ぶ。直撃の派手さはないが、踏切の制御箱の中の電子機器を、静かに、確実に壊していくのはこちらのほうだと思う。

雷雲が近づく夜は、待機になる。事務所のモニタには、落雷の位置情報が点々と表示される。どこに、何時何分に落ちたか。その点が、私たちの管理する踏切のほうへ近づいてくる。私はその画面を睨みながら、どの踏切から見回るかを決めていく。落ちた場所と、線路の走り方と、過去に壊れた箇所。そういうものを頭の中で重ねて、被害を予測する。当たるときもあれば、外れるときもあった。

制御箱の中には、避雷器という部品がある。これは、雷の電気を受けて、自分が壊れることで、本体の電子機器を守る部品だ。身代わりである。点検では、この避雷器が役目を終えていないかを確かめる。表示が変わっていたり、焦げた匂いがしたりすれば、交換する。新しい避雷器を据えながら、私はいつも、この部品の潔さのようなものを思う。守るために、自分が先に壊れる。そういう設計思想が、たしかにここにはあるのだ。

厄介なのは、雷で半分だけ壊れた装置だ。完全に壊れてくれれば、まだいい。動かないのだから、原因の場所もはっきりする。困るのは、ふだんは何ともないのに、ときどき妙な動きをする装置だ。検知が一瞬だけ抜ける。表示灯がふっと揺らぐ。けれど現場に行って試験をすると、何事もなかったように正常に動く。再現しない不具合ほど、追いかけるのが難しいものはないのかもしれない。雷の置き土産は、たいていこの気まぐれな顔をしている。

では、雷で停電したら踏切はどうなるのか。よく訊かれることだ。答えは、落ちる。停電しても、遮断機はちゃんと下りる。踏切にはバッテリーが積んであって、商用電源が切れても、装置はしばらく動き続ける。むしろ停電のときこそ、安全側に——つまり竿が下りる側に——倒れるように設計されている。電気が来ないなら、列車が来ないとは限らない。だから、止める。そういう思想で作られているのだ。

夕立が通り過ぎたあと、空が嘘のように晴れることがある。そういう夕方は、試験降下をして回る。竿を実際に下げて、規定の時間で動くかを確かめる。雷のあと、何ともないように見えても、どこかに小さな傷が残っているかもしれない。濡れたアスファルトの匂いの中で、ひとつ、またひとつと竿を下ろしていく。何も起きていないことを、わざわざ確かめに行く。それが、雷のあとの私たちの仕事だった。

休みの日でも、遠くで雷が鳴ると、私はつい職場のある方角を見てしまう。家族と買い物に出ていても、空が光れば、あの踏切は大丈夫だろうかと考える。レーダーのアプリを開いて、雷雲の動きを目で追う。これはもう、十九年でしみついた癖なのだろう。妻には、休みくらい忘れなさいと笑われる。それでも、空を見上げてしまうのだ。

身代わりに壊れる避雷器も、停電でも竿を落とすバッテリーも、結局は同じことを言っている気がする。人の作った安全は、誰かが——あるいは何かが——先に身を引き受けることで、はじめて成り立っている。あの小さな避雷器は、いわば私の相棒なのだ。雷の夜、空と踏切のあいだに立って、私は今年もその当たり前を守っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。