ヒエヌキミオリ(41歳・わさび田の栽培19年)
わさびは水が育てる。私たちは、水の世話をするだけだ。これは祖母の口癖で、田を継いだ二〇〇七年の春、私はその意味をまだ何も分かっていなかった。山あいの渓流式のわさび田で、清らかな湧き水の恵みを受けながら、株はゆっくりと根を太らせていく。継いだとき私は二十二歳だった。
祖母は朝、田に着くとまず水路に手を入れた。水温計は道具箱の中にあったのに、それより先に、いつも手だった。「冷たいか、ぬるいか、手で分かる」。夏でも冬でも、この湧き水は十数度のあたりで安定していて、その安定こそがわさびを育てるのだと、祖母は繰り返し言っていた。山が湧かせる水は、季節に動じない。
わさび田は、石を組んだ段々でできている。上から流れてきた水が、砂礫の層を抜けるたびに濾されて、澄んでいく。その澄んだ水が次の段へ落ちていく。先祖が何代もかけて組み上げた構造で、どの石をどこに置くかには、たぶん意味があったのだと思う。水の通り道を、人の手で設計しているのだ。
植え付けのとき、祖母は株と株の間隔にうるさかった。密に植えれば競り合って育たず、疎に植えれば水の力を持て余す。ちょうどいい間隔というものがあって、それは数字では教えてもらえなかった。「手が覚える」。私は最初の年、言われた通りに並べるだけで精一杯だったように思う。
毎日の仕事の大半は、掃除だった。水路に溜まる藻をすくい、落ち葉を拾う。これを怠ると水の通りが悪くなり、淀んだところからわさびが傷む。地味で、終わりのない作業だ。けれど祖母は、この掃除こそが「水の世話」なのだと言った。育てているのは作物ではなく、水の通り道なのかもしれない。
継いで二年目の秋、大きな台風が来た。山の水が暴れ、いつもは静かな湧き水が濁流になって、石組みの一部を押し流していった。翌朝、崩れた段々の前で私は立ち尽くした。祖母は黙って石を拾い、もとの場所に戻しはじめた。私も拾った。一日では終わらなかった。水の機嫌は、こちらの都合を聞いてくれない。
わさびは、植えてから一年半ほどかけて根を太らせる。収穫の見極めは難しい。地上の葉の様子から、地中の根の太りを推し量るしかなく、最後は掘ってみるまで分からない。初めて自分の判断で掘った日、土の中から現れた根は、思っていたより立派だった。葉の色が、ちゃんと答えを教えてくれていたのだと、後になって気づいた。
あれから十九年、私はずっと水を見てきた。水温、水量、その日ごとのわずかな揺れを、葉の色と根の太りで答え合わせする日々だ。祖母の言った「水を見ろ、毎朝見ろ」の意味が、いまならわかる気がする。あの春に手を入れた湧き水の温度が、私をいまの私にしてくれた。水は今日も、変わらず十数度で流れている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。