初雪の、観測
その冬の最初の白いものを、誰が見たか

ヒナタアズサ(26歳・気象台の観測補助6年)

初雪というものは、機械が決めるのではない。気象台の人間が、目で見て決める。観測者がその冬はじめて雪を視認した瞬間が、その地点の公式の初雪になる。気温計が何度を指していようと、レーダーに何が映っていようと、人が「雪だ」と認めて野帳に書きつけるまで、初雪は存在しない。粉雪が舞い降りてくるその一片を、誰かが見て、はじめて初雪は初雪になるのだ。

意外に知られていないが、みぞれも雪に数える。雨と雪が混じって落ちてくる、あの中途半端なものも、観測の決まりでは雪のうちだ。だから初雪は、純粋な白い結晶が積もる日とはかぎらない。雨の中にわずかに白いものが混じった、その一瞬を捉えることのほうが、ずっと多い。みぞれを雪と認めるかどうか――その判断のところに、人の目が要る。

初雪を観測する夜のことを、書いておきたいと思う。十二月の夜勤だった。窓の外は冷たい雨が降っていて、観測室には機械の低い唸りが静かに満ちていた。気温は一度を割り込みかけていた。こういう夜は、雨が雪に変わってもおかしくない。私は窓に張りつくようにして、外灯の光の中を落ちていくものを見ていた。

雨か、雪か。外灯の光の筋を、落ちてくるものが横切る。その速さと、落ち方と、わずかな白さで見極める。雨は速く、まっすぐに落ちる。雪は遅く、すこし揺れながら落ちる。みぞれはその中間で、いちばん厄介だ。私は目を凝らした。数分間、ただ光の中だけを見ていた。落ちてくるものの中に、一瞬、揺れたものがあった気がした。気がした、では書けない。私はもう少し見た。

確かに、揺れていた。何片かが、雨より遅く、白く、ためらうように落ちてきた。私は時計を見て、野帳の欄に鉛筆で書いた。初雪。時刻。気温。それだけだ。手が少し震えていたのは、寒さのせいだけではなかったと思う。その一行が、この冬のこの地点の、公式の初雪になる。私が書かなければ、初雪はまだ来ていないことになる。

けれど、「初雪、私が見ました」とは言わない。言ってはいけない、というより、言う場所がない。観測は気象台の名前で発表される。ニュースに流れるのは「気象台は今日、初雪を観測しました」という一行で、そこに観測した人間の名前は出ない。平年より何日早い、去年より何日遅い、と語られるその数字の出どころに、ある夜、窓に張りついて光の中を数分見ていた人間がいたことは、どこにも残らない。

私の野帳の一行は、それから何時間かをかけて、私の手を離れていく。野帳から報告へ、報告から発表へ。朝には、誰かのスマートフォンに「初雪」の二文字が届いているだろう。桜の開花を標本木で人が見て決めるのと同じで、初雪もまた、機械にできない公式観測の、最後の領域のひとつだ。その最後の領域に、私はいる。

あの夜、雨に混じった白いものを見極めた数分間のことを、私はときどき思い出す。あの数分が、全国に流れる一行になった。名前は残らない。けれど、名前の残らない観測が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日もまた冬が来て、私は窓の外の光の中を見ている。次の初雪を、私が見るのかもしれない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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