ヒナタアズサ(26歳・気象台の観測補助6年)
視程というのは、どこまで見えるか、という観測だ。これも機械任せにはできない。視程計という装置はあって、空気中の散乱を測って数字を出してくれるのだけれど、装置が見ているのは数メートルの空気の一部分にすぎない。本当に向こうの山が見えるかどうかは、人が目で確かめるしかない。だから視程の観測は、距離の分かっている目標物を、近いものから遠いものへ、順に確かめていく作業になる。
私の台には、目標物のリストがある。歴代の観測者が作って、引き継いできた一覧だ。対岸の煙突が一・五キロ、市役所の鉄塔が四キロ、その向こうの団地の給水塔が八キロ、いちばん遠いのが、晴れた日にだけ稜線の出る山で十二キロ。それぞれに距離が振ってある。煙突が見えれば視程は一・五キロ以上、鉄塔まで見えれば四キロ以上、というふうに、見える目標物のいちばん遠いところで視程が決まる。
この仕事を六年続けて、私は町を距離で覚えてしまった。普通の人は、町を景色として見る。私は、町を距離の目盛りとして見る。窓から外を見ると、霞む町並みが幻想的で、しばらく見とれてしまうこともあるのだけれど、すぐに、ああ煙突は見えるが鉄塔が消えている、視程は二キロくらいか、と数字が立ち上がってくる。職業病なのだと思う。
黄砂の日は、視程が独特の縮み方をする。霧とちがって、空全体がうすい黄土色に均されて、遠くのものから順にその色に溶けていく。山が消え、給水塔が消え、鉄塔の輪郭がぼやけて、それでも煙突だけはまだ見えている。そういう日の空は、なんとも言えず物悲しい色をしている。私はその色を見るたびに、遠くの大陸の砂が、ここまで旅をしてきたのだと思う。
逆に、雨上がりの夕方には、異常に遠くまで見えることがある。雨が空気中の塵を洗い落としたあとだ。普段は霞んでいる十二キロの山が、稜線どころか、山肌のひだまで見える。こんな日は視程二十キロ以上、と書く。リストにある目標物が全部見えてしまって、いちばん遠い山の、さらに向こうまで見えるのに、それを測る目標物がない。見えているのに数字にできない、という奇妙なことが起きる。
目標物は、消えることがある。私が入った二年目に、四キロの鉄塔が撤去された。老朽化だったらしい。ある朝、屋上に出て北を見たら、いつもそこにあるはずの鉄塔がなかった。視程の基準が、ひとつ、世界から消えた。私たちはリストを改定して、鉄塔の代わりに、その少し手前のマンションの屋上を三・五キロの目標物に据え直した。逆に、新しいビルが建って、それまで見えていた山が隠れてしまうこともある。目標物リストの改定は、そのまま、この町が変わっていく記録になっている。リストの余白には、歴代の観測者が消した目標物の名前が、二重線で残っている。
夜の視程は、難しい。目標物が見えないからだ。だから夜は、灯りの見え方で代用する。あの方角に見えるはずの団地の窓明かりが、にじんでいるか、はっきりしているか。橙色の街灯の列が、どこまで数えられるか。昼間は距離で測るものを、夜は明るさで読み替える。同じ町を、昼と夜とで、ちがう物差しで測っている。
いちばん緊張するのは、霧の壁が来る瞬間だ。海のほうから、視程が一気に縮む。さっきまで八キロ先の給水塔が見えていたのに、ものの数分で、対岸の煙突すら方角だけになる。目標物が、近いものへ近いものへと、ドミノのように消えていく。そういうとき、私は野帳に、視程の数字を矢印でつないで書く。八、五、二、一。縮んでいく速さそのものが、記録になる。
友人と歩いていて、相手がふと「今日は遠くまで見えるね」と言うことがある。私はつい、「うん、たぶん十五キロくらい」と数字で答えてしまって、変な顔をされる。普通の人にとって、遠くまで見えるかどうかは気分の話なのだ。私にとっては、空気の透明度という、測れる量なのだ。結局のところ、距離の地図が、私の町なのだと思う。目標物がひとつずつ見える順番が、私にとっての、この町の地図なのだ。今日も三時間後に、私は屋上に出て、近いものから遠いものへ、順に目をやる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。