道を、聞かれる(第二稿)
案内所一年目、聞かれたことに答えなくなるまで

ヒラギノマチ(53歳・駅前観光案内所25年)

私は旅をしない。駅前の観光案内所に二十五年いて、旅に出る人の最初の十分だけを、毎日見ている。改札を抜けて、地図を広げる前に案内所のガラス戸を押す人がいる。私が見ているのは、その人がまだどこへも行っていない顔だ。

勤め始めたのは二〇〇一年、二十八歳だった。観光の質問が来ると思っていたが、半分は観光ではなかった。トイレ、コインロッカー、バス乗り場、安く食べられる店。一年目の私が一日でいちばん多く指さしたのは、名所ではなく、トイレの方角だった。三十回は聞かれた日もある。

三か月目に、先輩に言われた。パンフレットを補充しながらだった。「聞かれたことに答えるな。聞きたいことに答えろ」。意味は、すぐにはわからなかった。

わかったのは、男性が「○○神社はどっちですか」と聞いてきたときだ。私は北を指さそうとして、手を止めた。スーツの革靴で、片手に駅で買った土産の袋。この人が知りたいのは方角ではなく、その靴で行けるかどうかだ。「歩くと二十分、上りです。三番乗り場からバスも出ます」。男性は、バスを選んだ。方角を聞く人の多くは、行けるかどうかを聞いている。先輩の言葉は、そういう意味だった。

地図を渡すにも作法がある。先輩は地図を必ず相手の進行方向に回してから渡した。自分が読める向きではなく、相手がこれから歩く向きに。私は半年、自分の正面に広げて説明しては、相手に首をかしげさせていた。テープで補強した角がいつも私の側に来ていたから、回し忘れたことは角の擦り切れでわかった。

いちばん難しいのは外国語ではなく、言葉にならない質問だった。携帯にカメラのない時代、プリントした写真を一枚、黙ってカウンターに滑らせる人がいた。古い土塀の路地。地名は写っていない。私は写真の隅に小さく写った金物屋の看板を読んだ。「カネ十」。市内にカネ十は一軒しかない。その裏の坂だと当てると、男性は初めて口を開いて、「親父が昔住んでた」と言った。場所を探していたのではなく、確かめに来た人だった。

雨の日は傘を聞かれた。貸し出しの傘は十二本あって、月末には七本に減っていた。終電を逃した夜には、宿を聞かれた。案内所は、旅の予定が崩れた人が最後に来る場所だ。私は受話器を取り、近い順に駅前の安宿からかけた。三軒は断られ、四軒目で一室取れた。客は若い二人連れで、料金を先に言わないと電話口の宿はいつも渋った。料金を先に言うことを、私はその夜に覚えた。

二十五年、私は旅をしないまま、人が何を聞くかを見てきた。覚えているのは、答えた道順ではない。「カネ十」の路地と、月末に減る傘の本数と、四軒目で取れた宿の電話だ。私は今日も、地図を相手の進行方向に回している。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。