ヒラサワダン(52歳・シロアリ防除30年)
春の訪れとともに、私の仕事場の電話が鳴りはじめる。長い冬を越え、命が芽吹くやわらかな季節――その同じ陽気が、土の下に眠っていた虫たちにも合図を送るのだ。一年のうちでいちばん電話が鳴る数週間が、こうして始まる。
羽アリが飛ぶのは、決まった条件がそろった日だ。シロアリの羽アリは、雨上がりの、蒸し暑い、風のない夕方を選ぶ。前の晩に雨が降り、昼に気温が上がり、湿度が高いまま夕方を迎える。そういう日に、巣の中で待っていた数千匹が、申し合わせたように一斉に飛び立つ。誰かが号令をかけるわけではない。同じ巣の、同じ条件の虫が、同じスイッチで動く。だから群飛は、町内の同じ夕方に、あちこちで一斉に起こる。
電話を取ると、たいてい第一声は同じだ。「黒い羽の虫が、家の中に大量に出たんですけど」。私はそこから、順番に質問していく。まず、いつ出たか。今日の夕方なら群飛の可能性が高い。次に、どこから出たか。窓の外から入ってきたのか、家の中の壁や柱の隙間から湧いたのか。これが分かれ目だ。最後に、いま手元に死骸があるなら、一匹だけ取っておいてください、と頼む。声だけでクロアリかシロアリかを完全に絞ることはできないが、質問の順番で、見当はだいぶ寄せられる。
現場に着けば、拾った死骸一匹で答えは出る。触角がくの字に折れていればクロアリ、まっすぐな数珠ならシロアリ。腰がくびれていればクロアリ、寸胴ならシロアリ。四枚の羽がどれも同じ大きさで、体よりずっと長ければシロアリだ。ルーペで腰を見る。たった一匹の、しかも死んだ虫が、その家にこれから何が起こるかを教えてくれる。
シロアリと分かれば、次は種を見る。この地方で家に出るのは、たいていヤマトシロアリかイエシロアリだ。ヤマトは湿った場所をじわじわと食う。被害は遅く、範囲も限られる。イエシロアリは巣が大きく、乾いた木まで水を運んで食い進む。被害の進み方が、桁で違う。同じ「シロアリです」でも、ヤマトとイエシロでは、提案する工事の規模がまるで変わってくる。種を取り違えれば、見立てそのものが狂う。
ここで、いちばん多い誤解について言っておかなければならない。羽アリが飛んできた、イコール、家が食われている、ではない。群飛の夕方、羽アリは風に乗って遠くまで散る。隣の空き地の切り株から飛んだ一群が、たまたま窓の灯りに寄って入ってくることもある。問題は、その羽アリが「外から入った」のか「家の中から出た」のかだ。家の壁や柱の継ぎ目から湧いて出たのなら、巣は家の中にある。窓の外から入っただけなら、その家はまだ食われていないかもしれない。ここを見ずに工事を売るのは、私のやってはいけないことだと思う。
去年の春の、ある夕方を覚えている。蒸し暑く、昼から降った雨がやんで、空気がぬるかった。電話が立て続けに鳴った。同じ町内から三件。一件は窓の桟に羽が落ちているだけで、外から入った群飛だった。一件はヤマト。残る一件が、和室の柱の継ぎ目から羽アリが列をなして出ていて、これがイエシロだった。同じ夕方の、同じ蒸し暑さの中で、三軒の運命がはっきり分かれていた。
春の予定表は、この数週間で一気に埋まる。朝から晩まで、調査と見積もりが続く。体力をどう配るかが勝負だ。繁忙期に無理をして、いちばん肝心な一匹の鑑定で目が疲れていては話にならない。群飛の翌朝、客の家を訪ねると、虫の本体はもうどこにもいない。窓の桟に、透き通った羽だけが、はらはらと落ちている。飛ぶ前に羽を落とすのがシロアリだ。残されたその羽の一枚が、ゆうべここで何が起きたかを、静かに語っている。
三十年やってきて思うのは、春の電話の数だけ仕事があるわけではない、ということだ。飛んできただけの羽アリと、家から出た羽アリを分ける。要らない工事を売らない。その判断こそが、姿の見えないものを商う人間の信用なのだ。今日もどこかの窓の桟で、誰にも見られないまま、一枚の羽が春の風に乾いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。