ヒロセタクマ(47歳・灯油配達員21年)
初雪の朝は、町が静まり返っている。音という音が雪に吸い込まれて、世界がしんと白くなる。私はその静けさの中で、まだ温かい布団から出て、窓の外を見た。今年もこの季節が来たのだ。そして私は知っている。この静けさは、長くは続かない。
八時を過ぎると、事務所の電話が鳴り始める。一本鳴ると、それを合図にしたように二本目が鳴る。受話器を置く前に次が鳴る。十一月の半ばまで「まだ大丈夫」と言っていた家が、初雪を見た途端に、いっせいに動き出す。予報では先週から寒くなると言っていた。けれど人は、予報では財布を開かない。窓の外に雪が積もって、初めて手が電話に伸びる。寒さは、頭ではなく、体で来るものなのかもしれない。
注文を受けながら、私は頭の中で地図を組み替える。決まったルートはある。だが初雪の日は、その通りには回れない。「今日中に」という声が重なって、地区をまたいで点が散る。近い順に結び直し、坂の上は午前のうちに、と段取りを引き直す。在庫も読む。事務所のタンクの残りと、今日の注文量を天秤にかけて、午後に一度補充に戻るかを決める。シーズン最初の一日は、回る前の机の上で半分が決まる。
新規の注文も混じる。引っ越してきたばかりの家、去年まで別の店に頼んでいた家。住所を聞いて、復唱して、目印を尋ねる。「角の郵便ポストの先です」。地図にない情報を、声から拾う。電話の向こうの人は、たいてい少し急いでいる。初めての雪に、初めての寒さに、急かされている。
最初の一軒は、夏のあいだ空にしていたタンクだ。コックをひねっても、すぐには出てこない。配管に空気が噛んでいる。呼び水ならぬ呼び灯油で、エアを抜いてやる。ポンプが空気を押し出して、ひと呼吸おいて、ようやく重い液が流れ始める。この一拍が、冬の合図だ。夏のあいだ眠っていた配管に、また灯油が通う。
回っていると、去年と同じ家の、去年と違う事情が、注文量に出る。去年より多く頼む家がある。聞けば、息子夫婦が孫を連れて戻ってきたという。部屋が一つ、また暖まる。逆に、去年の半分でいい、という家もある。理由は訊かない。ゲージの位置と、頼む量と、玄関に並ぶ靴の数で、だいたいのことは分かる。私は伝票に量を書く。書きながら、去年との差を、頭に残す。
どの家でも、同じ言葉を聞く。「もっと早く頼めばよかった」。毎年、初雪の日に、同じ声を聞く。私は「いえ、間に合いますよ」と笑って、ホースを引く。間に合わせるのが私の仕事だ。だが心のどこかで思う。来年もまた、この人は同じことを言うのだろう、と。人は、雪を見るまで、寒さを信じない。
夕方、最後の一軒を終えて、雪道をローリーで戻る。今年初めての雪道だ。ハンドルを切る加減、ブレーキを踏む深さ、坂で速度を落とすタイミング——夏のあいだ忘れていた感覚が、最初の一回りで体に戻ってくる。頭で思い出すのではない。手と足が、勝手に冬の運転を始めている。雪のわだちを踏みながら、ああ、今年も来た、と思う。
事務所に戻ると、まだ電話が点滅している。明日の分の注文だ。初雪の一日で、町じゅうの「まだ大丈夫」が「もう入れて」に変わった。受話器を置いて、私は外の雪を見る。朝の静けさは、もうない。初雪とは、冬の始まりの合図なのだ。そしてその合図を、いちばん早く受け取るのが、私たち灯油屋なのだと、いまでは思っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。