ヒロセタクマ(47歳・灯油配達員21年)
灯油の配達は冬の仕事だ。桜が散る頃に注文が止まり、ローリーのホースは巻いたまま夏を越す。だが灯油屋に夏休みがあるわけではない。配達のない季節こそ、タンクの手入れの季節だ。窓の外には強い日差しが降り注ぎ、町はむせ返るような熱気に包まれていた。私はその中を、給油ではなく点検のために回る。
夏の営業はホームタンクの清掃から始まる。庭先の脚付きのタンクは、冬のあいだに底へ水を溜める。空気との温度差で内側に露がつき、それが垂れて溜まるのだ。水抜きのコックを少し開けると、最初に出てくるのは透明な水だ。やがて色が変わって、薄い麦わら色の灯油に切り替わる。境目を見極めて、コックを閉める。これを毎夏やっておくと、冬にストーブが不機嫌にならない。
持ち越した灯油の話を、玄関先でどう説明するかは、いつも難しい。「去年の灯油、まだポリタンクに残ってるんだけど、使えるよね?」と訊かれる。使えなくはない、と言いたいところを、私はこらえる。古い灯油は変質するのだ。空気と光に触れて、ゆっくり酸化し、色が濃くなる。澄んだ麦わら色が、番茶のような色になっていたら、それは黄信号だ。「去年の灯油は今年のストーブを傷めます」。そう言うのが、私の仕事なのかもしれない。
七月には、ローリーの車検がある。給油のない時期だから、思い切って整備に出せる。ポンプを開けて、ホースの内側のひび割れを見て、メーターの誤差を直す。空っぽのタンクを積んだローリーは、ずいぶん軽い。冬のあいだ満載で走っていた車が、夏には羽が生えたように身軽になる。その軽さが、私にはどこか頼りない。
夏のいちばん大事な仕事は、机の上にある。配達ルートの地図を広げて、一年の町の変化を書き込むのだ。去年の冬に建った新しい家には、青い丸をつける。ここは新しい客になるかもしれない。そして、もう一つ。冬のあいだに人がいなくなった家には、印をつける。空き家になった家だ。
空き家の印は、つけるたびに少し手が止まる。去年まで毎週ホースを引いた家が、今年は配達先から消える。地図の上では、ただの記号だ。けれど私はその家のゲージの位置も、玄関までの段差も、釣り銭の数え方が遅かった手のことも、覚えている。地図にそれは書けない。だから私は、印だけをつけて、次の家に進む。
このごろ、配達先は年々減っている。エアコンが普及して、夏も冬も一台で済む家が増えた。灯油を頼む家は、確実に少なくなっている。それでも灯油を選ぶ家には、理由がある。停電してもストーブは点く、という備えの心。あるいは、火のついた赤い炎の前で手をかざす、あの暖かさが好きだという、ただそれだけの好み。電気の熱には、あの揺れる炎がない。
そして八月の終わり、夏のいちばん暑い盛りを過ぎたある日、事務所の電話が鳴る。秋の最初の注文だ。「そろそろ朝晩冷えてきたから、一回入れといて」。受話器の向こうの声を聞きながら、私は地図の青い丸と、空き家の印を見る。一年が、また回り始める。配達のない季節は、こうして終わる。
夏のタンクの手入れは、誰の目にも触れない。水を抜き、サビを見て、古い灯油を引き取り、地図を書き換える。誰も褒めてはくれない。けれど、夏に手をかけたタンクだけが、冬に静かに燃える。夏の手入れが、冬の暮らしを支えているのだ。配達のない季節こそ、灯油屋のほんとうの仕事なのだと、私はいまでは思っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。