昼間の、望遠鏡
星を見ない時間が、夜を支えている

ホムラアサヒ(38歳・天文台の観測装置オペレーター15年)

天文台で観測装置のオペレーターを十五年やっている。星を見る仕事だと思われがちだが、実のところ、私が空を見ている時間はごくわずかだ。夜の数時間のために、昼の天文台は静かに働き続けている。観測しない時間こそが、観測を支えているのだと思う。

朝、山に陽が当たると、夜のあいだ閉じていたドームを開けて、まず装置の冷却を切る。観測者が帰ったあとの観測室は、夜とはまるで別の場所だ。モニターには昨夜のログが残っていて、私はそれを綴じながら、今日やるべき昼の仕事を頭のなかで並べていく。較正、見学、観測者の世話、修理の立ち会い、そして夕方の会議。星のない一日が、ここから始まる。

何年かに一度、主鏡を下ろす大工事の年が来る。アルミの蒸着膜は時間とともに曇り、反射率が落ちていく。そうなると主鏡をセルごと吊り下ろし、トラックに載せてふもとの蒸着室まで運ぶ。古いアルミを薬品で剥がし、真空槽のなかで新しいアルミを蒸着し直す。鏡が天文台を離れている数週間、ドームは空っぽで、私たちは星のない天文台の番をする。鏡が戻ってきて再び光を集めはじめると、なんともいえない安堵がある。

昼の仕事の大半は、較正だ。夜のデータは、それ単体ではただの数字の海でしかない。フラットフィールド——一様な明るさを撮って、検出器の感度ムラを記録する。波長較正——既知の輝線を出すランプを点けて、どの画素がどの波長に対応するかを測る。観測者が夜に集めるデータの土台を、私は昼のうちに作っておく。地味な作業だが、これを怠ると、せっかくの夜が台無しになってしまうのだ。

昼の天文台は、観光地でもある。週末には見学ツアーがやってきて、私はドームの前で来訪者を迎える。いちばん多い質問は、決まって同じだ。「夜は、何が見えるんですか」。私はいつも少し困る。ここの望遠鏡は人の眼で覗くようにはできていないし、見えるのはモニターのなかの点や、グラフになった光の量だ。だから私は、「肉眼で覗く望遠鏡ではないんですよ」と前置きしてから、それでもこの装置が遠い銀河の光を測っているのだという話を、なるべくやさしく伝えることにしている。

観測者が山に上がってくる日は、天文台は小さな宿になる。観測棟の奥には宿泊室があって、私は布団を整え、ストーブを入れ、夕食の段取りを確認する。遠くの大学から来た研究者は、たいてい疲れている。長い申請を勝ち取って、ようやく数夜の持ち時間を手にした人たちだ。私は彼らが観測に集中できるように、それ以外のすべてを引き受ける。天文台は観測所であると同時に、山の上の小さな宿でもあるのだと思う。

装置が不調を起こせば、機器メーカーの技術者が山に上がってくる。私は立ち会って、夜にどんな挙動が出たかを伝える。四拍目で半拍遅れて止まったフィルターホイールの音を、私は言葉にして渡す。技術者はカバーを開け、私には見えない内側の機構を確かめていく。直ったかどうかは、その夜、また私がモニターの前で確かめることになる。昼に開けた装置の蓋が、夜の私の手に返ってくる。

そして夕方、日が傾くと、天気判断の会議がある。今夜、ドームを開けるか。気象衛星の画像、湿度の予報、上空の風。観測者と私とで、データを並べて見る。開けると決まれば夜の準備が始まり、閉めると決まればその夜の持ち時間は静かに消える。昼の終わりの、儀式のような時間だ。この会議が終わると、私はまたあの夜のシフトへ入っていく。昼が終わり、私の本当の一日が始まるのだ。

こうして並べてみると、星を見ない時間が、いかに大きな割合を占めているかがわかる。鏡を磨き、ランプを点け、見学者に答え、布団を整え、技術者に立ち会い、空を見上げて開けるか閉めるかを決める。そのすべてが、夜のたった数時間のためにある。昼が夜を支えているのだ。星を見る仕事とは、星を見ない時間を引き受ける仕事のことなのだろう。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。