ホリグチサヤ(44歳・道の駅直売所スタッフ15年)
うちの店の搬入口のシャッターは、朝六時に上がる。私はその少し前に出勤して、検品の台を拭き、シール貼りの場所を空けておく。朝靄の残る山里に軽トラのエンジンの音がひとつ、またひとつと重なって、なんとも言えない静けさがあるように思う。生産者は、その音の順に駐車場へ入ってくる。
並び順は、早い者勝ちだ。決まりとしては、それだけだ。でも十五年立っていると、決まりの下にもう一つの並びがあるのが見えてくる。シャッターの前から三台目、検品台のいちばん近くは、たいてい同じ人の場所だ。誰が決めたわけでもない。ただ、そこに別の車が停まっていると、後から来た常連が少し離れた場所で、所在なげにエンジンを切る。何も言わない。言わないことのほうが、よく見える。
同じ棚を取り合う二人がいる。仮に、東のトマトの人と、西のトマトの人としておく。二人とも、目の高さの一段の、いちばん客の動線に近い側を狙っている。先に着いたほうが、その側にコンテナを置く。後から来たほうは、何も言わずに、半段ずれた場所に自分の箱を据える。挨拶はする。天気の話もする。けれど棚の位置のことは、二人とも一度も口にしない。位置取りは、言葉の外でだけ動いている。
朝採れのトマトといっても、箱の温度が違う。手を箱の縁に当てると分かる。夜のうちに冷やしておいた人のトマトは、ひんやりとして締まっている。今朝畑で採ってそのまま積んできた人のは、まだ畑の温度を持っている。どちらが良いという話ではない。ただ、検品の台に手を置いた指先が、その人の昨夜の段取りまで読んでしまう。それだけのことだ。
雨の日は、段取りが変わる。荷台の養生シートをめくる手が増える分、搬入口の前が詰まる。常連は、シートを半分だけめくって検品の台まで運び、台の上で残り半分を外す。濡らさない順番を、体が覚えている。新しく入った人は、駐車場でシートを全部はがしてしまって、台に着くころには箱の肩が濡れている。雨は、誰が何年やってきたかを、容赦なく分けてしまうのかもしれない。
バーコードシールを貼る指の速さは、出荷歴に比例する。これは断言できる。長い人は、袋を見もせずに、決まった角に同じ向きで貼っていく。一袋に一秒もかからない。シールの台紙だけが、後にきれいに巻かれて残る。新しい人は、貼る前に必ず袋の向きを直し、シールの位置を一度迷う。その迷いの分だけ、列が後ろに伸びる。指は、その人の年数を隠せない。
新規参入の人が、最初の一か月で覚える不文律がある。誰も教えない。三台目は誰の場所か。シール貼りの台のどちら側を使うか。出荷者控室の湯呑みは、棚のどの位置のが自分の分か。長い人の湯呑みには、見えない名前が貼ってあるようなものだ。一か月もすると、新しい人も、自分の湯呑みの定位置を、黙って決めるようになる。
シャッターが上がりきると、検品の台に朝の光が斜めに入る。私はその光の中で、誰のコンテナがどの順に並んだかを、伝票の前に立つ前から知っている。並び順、箱の温度、シールの速さ。そのどれもが、決まりには書かれていない。けれど、書かれていないことのほうが、この搬入口を回しているのだと思う。
結局のところ、朝六時の搬入口は、里の人たちがその日いちばん最初に顔を合わせる、小さな社交場なのだ。位置取りも、温度も、シールの速さも、言葉にしないままの挨拶のようなもの。私はその挨拶を、台の脇で十五年、見続けてきたのだろう。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。