ホシノタカシ(52歳・プラネタリウム解説員28年)
雨の日は、混む。プラネタリウムで二十八年働いてきて、これだけは最初の数年で体に入った法則だ。窓の外に冷たい雨が降っていると、ロビーには傘の雫の匂いが満ち、いつもより多くの人がチケットを買いに来る。本物の星が一つも見えない夜にかぎって、人は作り物の星を見に来る。最初はそれが、ずっと不思議だった。
私は外の天気を、傘立ての本数で知る。解説卓のあるドームには窓がないし、雨音もここまでは届かない。けれど開演前にロビーを抜けると、入口の傘立ての具合でだいたいわかる。長傘がぎっしり差さって、折りたたみが受付脇のかごに積まれている日は、外は本降りだ。からっぽに近い日は、晴れている。私はチケットの売れ行きより先に、あの金属の立てかけの本数で、今日の客の入りを予想する癖がついている。
雨の日の客は、靴の音が違う。乾いた日の客はぺたぺたと軽く入ってくるが、雨の日は、濡れたソールがロビーの床をきゅっと鳴らす。その音が増えていくと、ああ今日は満ちるな、と思う。傘を畳む音、レインコートの衣擦れ、それから、外の冷たさを連れてきた人たちのざわめき。ドームの空調はいつも一定の温度に保たれているのに、雨の日はなぜか、客席がほんの少しだけ湿って感じられる気がする。
不思議なのは、拍手だ。投影の終わり、星空がゆっくり明けて朝になる演出のあと、客席から拍手が起きる。長くやっていると、その拍手の音色で外の天気がわかるようになる。晴れの日の拍手は乾いて、ぱらぱらと散る。雨の日の拍手は——うまく言えないのだが——もっと密で、こもっている。濡れた手のひらだから、というわけでもないだろう。あくまで私の経験則にすぎないのだけれど、雨の日の客のほうが、長く手を叩いてくれる気がするのだ。
投影機には、日付の設定がある。今夜の星空を出すなら、今日の日付を入れる。私はいつも、その日の夜の、この街の上に本当に広がっているはずの星空を投影している。けれど外は曇天で、雨で、実際の空には星など一つも出ていない。私が「本日の星空です」と言うとき、その「本日」とは、いったい何の話なのだろう。誰も見られない本物の代わりに、私は計算上だけ存在する星空を、ドームの天井に貼りつけている。
雨の日には、団体予約のキャンセルがよく入る。バスで来るはずだった小学校の遠足が、雨で中止になる。受付の電話が鳴って、午後の回が二十席ぽっかり空く。その代わりのように、ふらりと一人で来る客が増える。傘をさして、わざわざこの天気の中を、星を見に。団体が消えて個人が満ちる。雨の日の客席は、そうやって入れ替わる。同じ満席でも、晴れの日の満席とは、人の質がまるで違っている。
最終回は、いつも少ない。夜の最後の投影、外はもう真っ暗で、雨はまだ降っている。客席にぽつりぽつりと、数えるほどの人影。フェーダーを倒して照明を落とすと、出口の緑の非常灯だけが残る。私はその少ない客に向けて、満席のときと同じ星空を、同じ声で読み上げる。誰もいなくても、星は出さなければならない。投影機は今日の日付のまま、低く唸っている。
あるとき気づいたのは、晴れた日の人は、別に星を見に来ているわけではないのかもしれない、ということだ。空いていれば見上げればいい星を、わざわざ室内で見る必要はない。けれど雨の日に傘をさしてここへ来る人は、本物が消えた夜に、それでも星を見たいと思って来ている。本当に星を見ているのは、空が晴れている日の人ではなく、雨の日にここへ来る人のほうなのだ。作り物だとわかっていて、それでも見上げに来る人こそが。
二十八年、私は何度この問いの前に立っただろう。私が投影しているのは、今夜のこの街の本物の星空であり、同時に、誰も本物を見られない夜の、たった一つの星空でもある。雨はドームに届かないけれど、傘立ての本数が、客の靴音が、こもった拍手が、外の天気をいつも私に教えてくれる。今日も雨が降っている。だから、きっと満席になる。私はフェーダーに手をかけて、暗闇に向かって、本日の星空です、と言う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。