本日の星空です、と暗闇に言った日
解説員一年目、観客の顔が消えた瞬間

ホシノタカシ(52歳・プラネタリウム解説員28年)

プラネタリウムの解説員という仕事を、二十八年続けている。一日に何度も、円いドームの下で、まだ見ぬ星空を客席に向かって読み上げる。お客さんの顔は、投影が始まればすぐに見えなくなる。私たちは暗闇に向かって話す商売だ。明るい場所で話す人にはわからないだろうが、顔の見えない相手に話し続けるというのは、慣れるまでに思いのほか時間がかかるものだったと思う。

私が入ったのは一九九八年の春だった。当時のドームの中央には、ツァイス式の大きな投影機が据えられていた。黒い球体がいくつもの関節で繋がった、昆虫のような、あるいは深海の生き物のような機械で、暗闇の中でそれだけがぼうっと浮かび上がる。先輩たちはその機械を「彼」と呼んでいた。彼の機嫌が悪いと星が滲む、などと言っていた。

解説卓には、暗転のためのフェーダーがあった。手前に倒すと客席の照明がゆっくり落ちていく、あの細長いつまみだ。研修の間、私はそのフェーダーの倒し方ばかり練習させられた。速すぎるとお客さんが驚く、遅すぎると間延びする。三秒でも五秒でもなく、ちょうどいい速さがあるのだと先輩は言った。その「ちょうどいい」を、私はまだ体で覚えていなかった。

初めて一人でマイクを握ったのは、その年の夏の、平日の昼の回だった。客席はまばらだった。家族連れがいくつかと、夏休みの宿題らしいノートを広げた子どもが何人か。私は卓に着き、開演のブザーが鳴るのを待った。手のひらに汗をかいていた。マイクのスイッチを入れ、決められた口上を読み上げ、それからフェーダーに手をかけた。

つまみを手前に倒す。ドームの縁から照明が落ちていく。私の目の前から、お客さんの顔が、端のほうから順番に消えていった。最後に中央の家族連れが闇に沈み、そして客席は完全に見えなくなった。満天の星が、頭上から静かに降ってくるようだった。残ったのは、非常灯の緑の光が二つ、出口の方向にぽつんと灯っているだけ。私は、その緑だけを見ていた。

そこで私は、台本の最初の一行を読んだ。「皆さま、本日の星空です」。声が、自分でも驚くほど暗闇に吸い込まれていった。返事はない。当たり前だ、客席は星を見るために黙っている。けれど顔の見えない相手にそう言ったとき、私は急に、自分が誰に向かって話しているのかわからなくなった。そこに本当に人がいるのか。私はただ、真っ暗な部屋で独り言を言っているだけなのではないか。背筋が冷たくなったのを覚えている。

夏の大三角の説明に入り、ベガとアルタイルとデネブを順に指していたときだった。暗闇のどこか、おそらく前のほうの席で、小さな子どもの声がした。「うわあ」。それだけだった。誰に言うでもない、ただ星が増えていくのが嬉しくて漏れた声。拍手より先に、その声が私のところに届いた。私はそのとき初めて、暗闇の向こうに人がいるのだと、はっきりわかった。顔は見えないけれど、確かにいる。声が、それを教えてくれた。

それからの私は、暗闇の音を聴く人間になった。投影中の客席は、本当はずいぶん賑やかだ。補助席の軋み、衣擦れ、ため息、子どものひそひそ声。終演で照明を戻すと、たいてい一人か二人、座席で寝てしまっているお客さんがいる。明転した瞬間のあの、ばつの悪そうな顔。顔の見えない時間に何が起きていたかは、明るくなってからわかる。けれど私は、暗い間の音のほうを、ずっと信じるようになった。

二十八年、私は何万回「本日の星空です」と言ってきただろう。いまでもフェーダーを倒すたび、あの平日の昼の「うわあ」を思い出す。顔の見えない相手に話すのは怖い。けれど、見えないからこそ聴こえる声がある。あの暗闇の小さな声が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日もドームの下で、私は緑の非常灯だけを頼りに、暗闇に向かって、本日の星空です、と言う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。